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今日は暑さが増して走り甲斐があった!ここのところ走り終わる時間が早くなってる気がする。因みに今日で3週間目に突入。
心なしか贅肉が落ちてきたみたい。無職にとって走ることはせめてもの償いのようなもんだよね。だって日中みんな働いてるんだから少なからずにんべんは外れたにしろ『動』は大事だと思うわけです。
面倒な人間関係からとにかく逃げたかった
思えばあの頃はとにかく逃げたかった。
家族や会社といったありとあらゆるコミュニティーが面倒だった気がする。特に前妻はうちの家族について否定的だった上に兄が前妻と最悪な仲だったってこと。
そんなわけでもう、これは遠い場所に行くしかないという結論に至った。
僕の場合は地元に友達がほとんどいないということもあって、去ることについてはなんの憂いもなく、むしろずっと地元で学生時代から固まってるイケイケグループを見ると窮屈だなぁとさえ思っていた。
逃げることで解決するならひたすら逃げる
というわけで僕は兵庫へ引っ越すことに。
実際向こうに住み始めると、ほとんどの悩みは解消されたかのように見えた。
が、ただ一点気がかりだったのは、兵庫は前妻の地元で古くからの友達がたくさんいたということ。
僕と違ってオープンマインドな性格の彼女はよく友達を家に連れてきていた。女性はまだよかったものだが、男が厄介なもので、これもよくあるあるなんだけどグループを取り仕切る「地元の兄貴的存在」みたいな男って絶対いるんだよね。
山の中の田舎に30年間近く住んでいるその男とはうまが合わなかったけど、度々ボーリングだのバッティングセンターだのに駆り出されていた。
これも付き合いかと割り切っていた自分は今では想像できない(笑)ほどなくして就職するんだけど…ここでまたしくじりが発生する。
僕は学生時代アルバイトで調理をやっていたことから、福祉施設(特養)での調理員という職種を選択したのだが、これが詰む原因となった。
株式会社じゃなければ…という甘い考えが
そんな条件のところ選んだお前が悪い。って思うんだけど、この時点の僕の考えでは、営利に直結する株式会社≒ブラック体質になりやすいと考えていた。
だから福祉関係の調理という職種を選択したんだけど、この時ばかりはエルヴィンが言っていた「巨人は常に我々の想像を超える」という言葉が頭をかすめた(笑)
一応建前のシフトでは…
早番5時-14時、日勤8時-16時、遅番10時-19時、なんだけど実際の稼働はどの時間帯で出勤しても22~23時までは拘束される。平均して月24日稼働で1日11時間~14時間の労働で残業代なし。
シフト制の意味なくね。
福祉施設にはイベント(クリスマス、年末年始、敬老の日等)があるんだけど、その時は25時に帰宅して5時出勤とかあったな。ちなみにこの施設は見晴らしのいい山の上にあって、冬になると積雪がヤバイ。
一度寝不足の時に急いでて出勤途中に事故りそうになったことがあった。体力的な問題もあったけど、この他にも従業員同士の仲が悪い、これが職場の最大の欠点だった。
マネジメントができない
厨房を仕切るのはリーダーと栄養士の二人で、実質的には一番の古参だ。
しかしこの女性たちは常に結託してる仲にあって、周りも逆らえない状況なのが容易に読めた。
別にそれだけなら良いのだが、問題はこの二人の脳内にしかレシピが記憶されていないことだ。
150人分の利用者に提供される料理、それも流動食など含めると形状が多岐にわたるから、ふつうに考えてもレシピなしで作るのは不可能だ。
だから毎回その二人の指導のもと他の調理員がローテーションで作るわけだが、それがまたストレスに他ならない。
教えてやってんだよ的な出し惜しみオーラを全開にしてくる。とはいえ、調理員も他での経験があるから、味付けや盛り付けにはこだわりがあった。
そうしたことで絶対的な二人vs調理員のバトルが勃発するんだけど、、
単純に考えてレシピ作れよ。
ってなる。
何年間もいるのに今まで作ってきた料理のレシピがないって、この人たちは何してたんだろうと思う。
これは調理に携わる人によくありがちなパターンなんだけど、数値化と効率化しない人がかなり多い。
特に大量調理において数値は必須と言ってもいいんだけど、彼らは何故か経験とか勘とかって曖昧なものを頼りに作りたがる。
実際、作る人によって味が全然違うものだからそれを施設長に何度も注意されていた。
僕は入職して三ヶ月目でレシピ作成のレポートをまとめ施設長に直談判した。このままでは永遠に不毛な口論が続くうえに、そのせいで作業も後倒しになり労働時間が半端ないことになるからだ。
しかしその話はそれっきりで音沙汰はなかった。後日、意地の悪い栄養士から叱責されたけど僕は何も意に返さなかった。
ここまで来ると正直にお手上げだ。
職の切れ目が縁の切れ目
この先はお察しの通り1年で退職した。あれは雪の降る成人式の日だったんだけど、施設で朝食を出したあと洗い物をしてたら急にその発作的なものがきたんだな。
割烹着を来たまま車のエンジンをかけて気づいたら職場から2つ離れた市役所の前にいた。市民会館のホールから新成人が躍り出てくる様子を車の中からぼーーっと眺めていた。
『自分はこのまま永遠にこんなことばかり繰り返して生きていくのか』あんな新成人のような顔つきで笑っていた日々もあったな、と。
その時に分かったことは、恐らくどこにいっても同じということだ。
600キロ離れた地方都市に住んでも景色は変るものの本質的には何も変わらない。
それが日本社会ってものなんだろう。そのあと僕は離婚を切り出され前妻は出て行ってしまった。
ドラマみたいなことはドラマの中だけで完結させてくれよと本気で思う(笑)
ある程度家財も持って行かれてしまった僕は2DKの団地に取り残された。
知らない土地で周りは山だらけ、職も妻も失ったけど帰郷するわけにはいかない。こんな1年足らずで戻ってきたら示しがつかないと思っていた。
団地では一人になったせいか隣のおばぁちゃんと話す機会が増えて、向こうが畑で取ったものを僕が調理しておすそ分けするというスタイルが続いていた。
それだけにお別れが寂しかったけど、アルバイトをしながら数ヶ月で家を片付け、海側の出場が良い場所に引っ越すことにした。
いかなる理由であれ、仕事を辞めた時点で『あなたは仕事が続かない』というレッテルを貼られる。
しかしどうだろう。
本当にそうゆう現場を体験した人じゃなければ分からないことはたくさんある。あまり耐え続けて精神的に崩壊すれば、そのあとに奪われる時間と強いられる負担は決して軽いものではない。
そして残念なのは社畜をして鬱になっても伴侶は去るということ。
すべてのケースではないが僕はそういった友人を何人か知っている。
最後までお読み頂きありがとうございます。

https://dropout-minimalist.com/2017/08/19/しくじり人生③