お金に依存し続けていいのか。贈与経済、恩送りの資本主義2.0へ。



最近読んだ本の備忘録。

僕は言うまでもなくここ20年の市場経済は大きく低迷してるんじゃないかと思っている。

事実、生活していても、あらゆるメディアに目を向けてもマイナス要素の高い報道やコメントが土俵を締めている。

まぁ自分個人目線で捉えている範囲などたかがしれているし、もしかしたらそうでない豊かな暮らしばかりを見ている人もいるのかもしれない。

最近は『行き過ぎた資本主義』に対する反動が生まれ、様々な場所で善意のオルタナティブ活動が行われている。それは鶴見済さんが書く『0円で生きる』という本の内容であったり家入さんが描くクラウドファンディング(恩送り)の社会である。

0円で生きるの中にはボランティアで賄われるフリマが登場したりする。

例えば井の頭線の東松原駅にある「くるくるひろば」という場所の維持費は、ボランティアの有志によって賄われている。そこにはすでに役目の終わったモノ(ある人にとっては必要なもの)が交わされる小さな贈与経済が成立している。

国立市で月一度行われている「くにたち0円ショップ」も似ているが、これは路上にブルーシートを広げて開催されるものだ。

置いてあるものは人々の使わなくなったもの、衣類や雑貨を中心にCDや書籍、赤ちゃんグッズなど幅広くあるとのこと。

特に子育て世代においては、成長の早い我が子に合わせていろいろ買い揃えるのは大変なことだ。だからこういったものは既にその段階を終えたものから頂き、また次へバトンを渡すのが一番効率がいいのではないかと思う。

それに人々の間同士でコミュニケーションを介しながらサイクルされるのが自然的で何より素敵だ。

物々交換こそが今後の若者生活困窮者を緩和する温故知新なのではないかと。
資本主義2.0への一つじゃないかな。

そう考えるとたいていのものは『いちいち買う必要のないもの』だったりする。

最近はシェアスペースで有名なAirbnbやカーシェアリングではUberなどがある。しかし鶴見氏によれば、これはまだ「商売」の範囲であって、贈与や共有の精神に基づくのであればもう一段階詰める必要があるという。

僕の解釈では『シェアリングブームに輪をかけたビジネスモデル』であり、別に良し悪しを問うわけではないが、まだ理想とする贈与経済には至らないということだろう。



そもそも“モノ”は必要か。。という問題なんだけど個人的にはこういった“大量消費”やモノの生産性は既に終焉を迎えている。

スマホ一つとっても市場の普及率が飽和しきっているのは明らかだ。既に持っているものを高額な値段を出して買い換えるかというと、壊れない限りそれは考えにくい。

しかし未だに大手企業は当然のごとくモノを売ろうと必死にPR活動やCMをバンバン流している。

確かにショッピングというのは今まで個人的なストレス発散の一助を担っていたり、生活水準の引き上げに一役買っていたり、経済的にも利潤のめぐりがあったのだろう。しかし、それはあくまで企業の促すプロパガンダが作り上げた風潮に過ぎない。

必ずしも自分に必要なものだけを選んで、自分の意志で買っているというよりは「衝動買い」という言葉があるように、必要のないものまで購入を促されているということだ。

特に日本の文化でいえば、『隣の芝生が青く見える』という概念が強く、他人が持っているモノ(ヒト)に対して執着する人も少なくない。これは何に対しても比較して一喜一憂する人がいるのと似ている。

まぁ羨んでそれを追うのも自由だが、今の経済状況でこういったことを続けるのは多くの人にとって無駄じゃないか?ということだ。これは個人消費もそうだが、家庭を持った夫婦世帯には尚更言えることではなかろうか。

正直僕のような貧乏人から言わせてもらえば、従来通りのプロパガンダに当然のごとく従っていたら、家計はすぐに崩壊するということだ。

無論、それらを補うことに全力を投資すれば可能かもしれないけど、一生モノの返済のために生きていたいかというとまずあり得ない。自分の価値観です。

で、一番問題なのが、まだまだ従来通りのプロパガンダを追っている、もしくはそういった固定概念を押し付けてくる人があまりにも多いということ。

多分そういう人達からすれば「原始時代に戻りたいの?」という感じなのだろうが、そもそも物々交換というのは人類の経済史上最も長く存在している経済の一つだ。

しかしこういった贈与という考えはここ数十年の経済成長によって消えかけている。

それはお金に依存する経済(資本主義)が行き過ぎたことが原因の一つにある。

贈与経済を取り戻すことにこの上なく自然な姿を感じるのは、今までが不自然だったから。そしてこれは普遍的に人々の中にあるものだからなんだと思う。

まぁすべてを贈与で賄うというのは現実的ではないから、貨幣価値をまるごと否定する気はないけど、何事も『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』というように、資本においてあまりにも偏りが生まれてしまっている気がする。

  • お金を稼ぐのが苦手な人にとって資本主義は地獄だ。
  • もっといえばがめつく欲を追いかけたり他人を蹴落とせない人にとっては地獄だ。
  • 効率よく他人の中に馴染めない人にとっては地獄だ。

これでは生きづらい社会が拡大するのも無理ない。

贈与経済を促すことで人との繋がりが回復し、僕のような経済的弱者も今よりは少し生きやすくなるのではないだろうか。もちろんそれは一つのカテゴリーでしかないんだろうけど、選択肢が限られているより一つでも増えたほうが豊かだ。

これは将来家庭をもって子どもを持つ親世代にもいえることかもしれない。

あまりモノを背負いすぎて労働に消耗する生活というのは、個人的に豊かとは思えない。

僕の知り合いの夫婦は「子育てがマジで厳しい」とばかり嘆いていたが、それは本来やることのないことにまで精を出しているからではないか。

そして本来必要のないものまで買い込んでいるからではないか。

いつもそう思ってしまう。

そもそも人が生きてく上で必要なものはそう多くないし、なければ出来ないというのであれば、何世紀も前の人々はどうやって後世にバトンを渡してきたのだろうか。

それは現代で言う金を使って解消すべき問題を知恵で解消していたからだろう。



いろいろな必要経費は、実は雑費だったなんてことはよくあることで、要は工夫すれば補えることがたくさんあることに気づいていない。『考えなくてもすべてお金で解決できる』これは資本主義の負の側面だろうと思う。

因みにクラウドファンディングも贈与の恩恵によって成り立っている。これもやりたいことを我慢せずに声あげれるという意味では豊かな選択肢の一つではないだろうか。

僕の中で資本主義2.0というのは、誰もが等しく

共有・交換・協力をなめらかに取り交わせるIT社会だと思う。

お金もそう。従来通りの煩雑で回りくどい資金調達は非常にハードルが高いし、そもそも成功率が限りなく低いものだ。日本政策金融公庫とかね…w

これでは本業に取り掛かる前に心が折られかねない。

ゆっくりではある、しかし確実に豊かになっているけど、まだまだアップデートされるべき課題が山積みのような気がする。そしてそれらの活動がきちんと認知され、理解されてるかどうかも大事だと思う。

やりたいことやっても卑下されることのない、そんな社会になっていってほしい。

お読み頂きありがとうございます。

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新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在は都内で飲食店やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ