人間関係はもっと流動的でいい。過去の自分を演じるくらいなら断捨離か距離を置く。



こんばんは。

ようやく引っ越しの作業が80%くらい終わって、あとは残置の処理と荷物が少々、、しくじったことにpc類のダンボールを後回しにしてしまったせいで、今日は泣く泣くスマホからになってしまった。

費用を抑えるために自分たちで作業したけど骨が折れました。人生6回の引っ越しの中では1、2位を争うほどだった。上野公園で昼飯の牛丼を食べたことは生涯忘れないだろうw

ってか今ブログ書くために数えたけど、引っ越し過ぎだよなー無駄に。

とはいえあと少しで墨田区民と化して、新たな生活とは言い難い耐久レースが始まるんだろうなー。

とりあえず今回町田を脱却出来たのは◎。店なき後、あそこで生活するのはかなり無理ゲーだったし、都内で就職なんてのも既にその通勤に要するHPが残ってないw

地域環境で思うのは、やはり肌に合う合わないってのが結構大きいと思う。確かに自然豊かな郊外だったけど、治安は良くないしなんせ騒がしい。。

特に道路に面したアパートで後ろには学生寮があったこともあり、乗り物の爆音マフラーや学生のうぇーいミュージックが後を絶たないのはしんどかったw

やはり社会に出てからは学生街に住むのは危険だ。若さやリア充を見ると心身ともに良くないしw

まぁ引っ越し先である今の地域もどうかは分からないけど、もともと都区内で育った自分は元の鞘に収まった感があってとても落ち着いてる。

そういえば、引っ越す前に久々に友人と会って飲んで思うことがあった。

半ニート、半フリーター、半自営業というよく分からない毎日を過ごしてる僕には、おそらくふつうの道を歩んでる人との視点が大分ズレてきてしまってるということ。

ちょっと図にしてみたんだけど、分かりにくいというか独自的です。。

これだと自分はBに。友人はDという感じで、多分普段考えてることや人生の価値観が異なる。

過去に体験したけど一つのところで固定の仕事をしていれば、ほとんどの人は休みを娯楽や旅行に消費するんだろうなーということ。

フルタイムで正社員の場合はおそらく仕事と休日の娯楽で脳内の9割型埋まってしまいそうだ。

でも僕の場合は散漫型だから、仕事と娯楽は5割もあれば十分で、他には自分のやりたいことをやる時間で4割くらい持ちたい。

まぁそれが故に決められた一定の額を毎月受け取るサラリーマンとは違い、常に将来への不安と葛藤は付きまとうんだけどね。。

だからといってセオリーな生き方をしてる友人は嫌いとかでは決してないんだけど、会話のカテゴリーやテンションの違いが少し疲れるのかもしれない。

まぁ土曜の夜に会えばそりゃ派手に盛り上がるしテンション↑↑なのも分かるんだけど、、正直それどころじゃない自分はその若さについて行けなかった。

友人のように土日しか羽目を外せない人にとっての土曜は極めて発散すべき日なのだろうと感じた。あれはあれでたまになら楽しいものではあるけど。

しかし本当に疲れる人間関係は他にある。


これは多くの人が感じてるのかもしれないけど、過去を知っている友人や同級生に会うと、その過去に振舞っていた自分のキャラを呼び戻さなきゃいけなくなる場合だ。

いや、別に今は今だからそのまま変化後の自分でえーやん、っていう人はまったく気にならないと思うんだけど、中には小・中・高という学校上の性質もあって思わずキャラ作りをしてしまう人もいるんではなかろうか。

僕が6回も引っ越してる理由の一つは、地元に留まりたくないということにある。

もちろん前提として仕事やいろんな理由があるから引っ越すわけだけど、潜在的に地元にいるのを良しとしていない。

特に中学や高校の頃のキャラを演じるのはすこぶるだるい。おそらくアイデンティティが確立して、あるがままに生きれるようになったのはつい数年前のことで、それ以前はかなり偽ったキャラを演じていた。

そのせいで『あれ、昔もっとアゲアゲだったじゃん』とか、『面白かったじゃん』とか言われることがあるんだけど、それ自体が面倒だ。

勝手に盛り上げ役にされるとか特にw

地元というのは良くも悪くも狭いコミュニティの中で長年連れ添ってる人が多いため、過去の認識をそのまま持ち出そうとしてきたりする。

僕は逆によくそんな変わらないままいれたなぁと感心してしまうんだけど、、

これは勝手な価値観だけど、自分としてはいろいろな土地でいろいろな人や文化に触れていく人生のほうが実りあるものだと思っている。



だから地元に留まって同じコミュニティで長年やってくことを悪いとは思わないにしろ、異なる感覚があるというのだけは感じている。

人は当たり前だけど、いろんなものに触れればその都度変わっていく生き物であって、それを例えば高校デビューなどという(変わらないことを良しとする)尺度でとやかくいうのはナンセンスなんだな。

こういった場合はフェードアウトするか、くどい場合は断捨離してもいい。過去に足を引っ張られてこれからの自分を見失う必要はどこにもないと思うし、良い歳してそんな視野の狭いこと言ってる人もどうかと。。

地元によって様々だから一概には言えないけど。。

僕はこういった過去の関係からフェードアウトと断捨離を繰り返した結果、現存する友人は本当の意味での数少ない友人だと思う。

まぁ生まれた時から本音で生きていれば、こんなまどろっこしいことにはならないんだけどね(-_-)

ただ、日本人の人間関係の悩みの一つは何となくこの辺りに潜んでいるような気がしたから思ったことを書いてみた。

そして何より本音同士で出会った人のほうが、何倍も面白いし良き理解者になってくれる可能性が高い。

あまり『お付き合い』的な時間は持ちすぎる風潮はコスパが悪いし、思いきってコミュニティを抜けたり断捨離することは今の時代において自分を見失わないための大事なスキルだと思う。

思わず綺麗だったスカイツリーを添えて。

お読み頂きありがとうございます。

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新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在は都内で飲食店やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ