日常の変化は跡形もなく



消えていくんだ。

最近、そう思うことが多い。

なんていうか、先の見えていることをこのままやり続けている自分に得も言えない苛立ちを感じる。

今は、酒を煽っているから、支離滅裂な乱文になってしまうかもしれないけど。

歳はとっていくものだ。

それは誰しもが平等に、否が応でも避けられない。

でも問題は乗りこなしているかのような代わり映えのないルーティンだ。

この煩わしい息の詰まるくだらない一日を生きていくこと。

実際はなににも乗っていないし、将来なんて暗雲という不確定要素に包まれているのに。

幸せの基準などないのに。



本当はそんな嘘っぽい安定はいらなくて、自分が打ち込める真新しいナニカ、ドラスティックな体験に出会えることがすべてなんじゃないか。

どんなことをやっていても、自分が自分に納得できないことなんてやってる意味はないんだと思う。

しかしそれが病的に褒め讃えられる人生。

称賛された生き方なのは社会通念上そうなんだけど、どこか気持ち悪い。

いろんな意味で年齢は切実だ。

時間が一歩一歩と着実に過ぎていくなかで僕たちは慣れてしまう。

その継続こそが、自分の選択した正しい道を生きることなんだと錯覚するに十分な環境を敷かれている。

いや、本当はどっかにわだかまりを抱えていてもそう納得するように自分を掌握している。

小さな嘘の連続が無責任な今を構築してね。

自身を完全に飼いならすことが一人前のオトナなんだとしたら・・・それは幸せと呼べるのか。

いいや、幸せというのは幻想的で極めてエゴイズムな捉え方で、自分がどう思っているかを意のままに体現できることなんだろう。

少なくとも自分はそう思っているのだけど、それがうまくできない。

ビハインドに隠れるわだかまりと、ルーティンが非常に息苦しいのだ。

その存在を無視するにはあまりにも多きいというか。

ありのまま生きたいですね。

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ABOUTこの記事をかいた人

ありーゔぇでるち

新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在はインドカレー屋やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ