ベーシックインカムとりあえずのまとめ



最近、マーケティングやら隠居やらベーシックインカム(以下BI)やら、そういった類の本を読んでるんだけど、ぐぐっときた書籍について書いていきたい。

まず、本格的にBIについて深掘りしてるのはオランダ出身の若き歴史家兼ジャーナリストのルトガー・ブレグマン著『奴隷なき道 ーAIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働ー』

資本主義1.0の役目はもう終わったんじゃないかな?

まず最初に断っておきたいのは、僕は資本主義に対して肯定的であることと、ベーシックインカムに関して右派とか左派とかは関係ない。持たないものの一員として、全体のメリットを考えていきたいと思う。

よくこの手の話を話題にするとすぐに右左の問題が出てくるのだけど、僕はどちらでもないし、宗教観もまったくない。

シンプルな表現でいえば、仕組みそのものをアップデートすべきなのでは、ということだ。そこに上記のようなややこしいコンセプトはいらないと思う。

長らく旧来の資本主義が果たした功績は大きい。その流れは以前にも書いたので一応貼っておきます。

でもふとしたことを思う。

人類は便利になるためにいろいろ効率化してテクノロジーを生み出してきたはずなのに、なんで自殺やうつ病や過労死といった「生きづらさ」が出てくるんだろうと。

ちなみにWHOの見解では2030年までに、若者のうつ病は世界の病気の第一位になるという。



これって誰が幸せなんだろうか。


著者の言葉を借りれば、この2世紀のあいだ、ユートピアの再現が実際はディストピアになってるってことなんじゃないかな。

完璧を求めた結果の同調圧力という副作用に悩んでいる人は実に多い。

自由はおそらく人間が最も重視する理想である。だが、現状のそれは、中身のない自由だ。そうなったのはわたしたちがいかなる形であれ道徳を恐れ、公の場でそれを語ることをタブーにしてしまったからだ。

たしかに公の場では「中立的」であるべきだが、現状のそれは過剰なほど寛大だ。街は誘惑に溢れている。酒を飲め、騒げ、金を借りろ、欲しいものを買え、人を陥れろ、圧力をかけろ、詐欺をはたらけ、と。

言論の自由をどう呼ぶにせよ、わたしたちの価値観は、企業がゴールデンタイムのコマーシャルで押し売りする価値観に怪しいほどよく似ている。

この言葉は現代のあらゆる問題を提議してるように思う。

今僕がこうして書いてる間にも、テレビでは日大アメフト騒動が流れている。ついこの前はセクハラ騒動だった。

真実のみえない記者会見を開き、何かあれば当事者もろとも全体を総叩きしだす風潮。

ストレスと利害だけが独り歩きしているように見えるのは僕だけだろうか。記者は、他社よりも反響のあるコメントをもらうために血眼になって険のある質問を浴びせる。当事者やその周囲への最低限の配慮もなしに行われるそれは、誰のためなんだろう。

強いて言えばそれは視聴率がとれた報道各社のうちの一社だけかもしれない。

話はそれてしまったけど、こういった一場面をカットしただけでも資本主義の副作用が見えてくる。当たり前のことだけど、利益を求めるために人がこういった強硬手段を使うのは、何もマスコミだけではなく全体的な問題だ。

しかし、誰しもが1位というトップを目指すためにはやむなくこういった手段を用いらざるを得ない。マウンティングやイジメ、あやゆるハラスメントや根回しが起こるのも私欲を満たす裏には利害が見え隠れしている。

でも運動会のかけっこと同じで99%は1位にはなれない。



徒競走のそれとは訳がちがい、資本主義における競い過ぎた結果の幸福は歪んだ幸福だと思う。笑う人の数だけ泣く人が現れるというのはまったくもって幸せではない。

全体的な目標。たとえば高度経済成長期の日本のように、社会全体に目標をコミットできるような環境が今はない。どこに向かっているのか分からない、そんな状況下にある資本主義の有用性はほとんど失われてるんじゃないかな。

競った結果が生産性の向上よりも、生きづらさを生んでいるというのは、資本主義と次世代イデオロギーとの乖離かもしれない。だからアップデートさせる必要があるんだと思う。

①では資本主義の副作用にについて書いた。②では下位レイヤーに位置するあらゆる問題を書いていこうと思う。

日本の労働主観

カネは有限なパイだ。だから奪い合えば必ず勝敗が出てくる。

「貧困は自己責任」「カネがないなら働け」「甘いことを言うな」これらはよく言われることだけども、こういった問題を自己責任で片付けることの弊害は大きい。

この2世紀で世界の飢餓や病気は大幅に減り、平均寿命や平均所得は一気に向上した。

貧困というのはその国によってまったく価値観が異なる。水が足りない国もあればネット回線がない国もあるかもしれない。だけど、これは水やネット回線という固有名詞にまつわる格付けなので、比較の対象にはならない。

その人にとって供給がおいついてないもの、あるいは需要が満たせてないものが多ければそれは貧困だと思う。

だからアフリカの飢餓と比べれば日本のワープアなど恵まれているという国単位のワースト争いは生産性がないので置いておく。

人は食い扶持(衣食住)を稼ぐために汗水たらして働くというけど、食い扶持だけならすでに週3日労働でなんとでもなりそうだ。スーパーにいけばそれこそ安くて良い品が溢れるように並んでいるし、半額シールが貼られるのを待ち構えることもできる。

衣類はユニクロやしまむらに行けばいくらでもあるし、近年の空き家問題で住居さえも格安で手に入る。

なんなら子育て用具もすべてレンタルあるいはメルカリやジモティー、バザーで集めればいい。

ではなぜ、21世紀というコスパの高い時代において人はあくせく働くのだろう。



「仕事が好きだから」「仕事をしないと生活できないから」「定職に就かないと周りの目が痛いから」「家庭があるから」「社会貢献できるから」「不安だから」「安定してるから」

まぁ日本の場合は体裁というのがかなり大きなウエイトを占めていると思う。

「仕事が好きだから」を除けば基本的に人の働く理由はおおよそ、そういうものだろうと思うけど、それはあくまで20世紀の途上における常識であって、現代では強制されるものでもない。

様々な要因によりこの当然ともいうべき労働があまりにもフランクにできなくなってきた。①でも書いたけど、今の労働は求められるクオリティが異常に高く、そのわりに見込める対価は薄い。

一昔前までは営業に行き電卓を弾いて雑談しながら契約を取ることも容易だったけど、今ではデフォルトの能力値で電卓と言えば採用すらされないだろう。

ここ数十年で求められるITリテラシーと時短効率化は飛躍的に向上している。しかし間違えてはならないのが、だからといって生産性は向上したわけでもなし労働時間にいたっては増加傾向にあるということだ。

それがつまりはギスギスと煮詰まった資本主義の元凶だ。



だから現代人におけるワープアやフリーター、貧困女子やニートといったドロップアウトカテゴリーが生まれてきた。これは人間としてまともな反応だろうと思う。

一番の問題はこうしたところにカテゴライズされてしまった人たちを無能であり自己責任であるという弱者叩きの風潮だ。

おそらくはベーシックインカム(以下BI)導入に懸念を抱いている人には少なからずこういった人がいる。「ただで金を渡せば人は堕落する」「共産主義のにのまえだ」という風に。

無能だから貧困なのか、貧困だから無能なのかという疑問

だが実際はどうだろう。フランスの社会学者ルトガー・ブレグマンは自署でこう書いている。

2009年にロンドンにいるホームレス13人に無条件でお金を配るという社会実験を援助団体であるブロードウェイが行った。

当初それらのお金は酒やドラッグをやるため(さらに堕落するため)に無駄に消耗されることが予測されていた。しかし、一年後に検証した結果、彼等はみな自立して就労意欲が高い人へと変わっていた。

まぁこれはホームレスを例にとった局所的な事例であり、その他の貧困解消も最下層からの向上だから大きな効果がでてるという部分はあると思う。

日本でいうヤンキーが急に真面目になって、学力が向上した時の周りの反応は一般生徒のそれよりも鮮烈に映るものだ。

しかしこれは貧困度合いがちがえど、そのカテゴリーで有効であるという一つの指標になる。

欠乏の心理がもたらす悪影響

低所得にある人ほど、不健康で不健全な生活をして不要なモノが多いという話は聞いたことあると思うけど、なぜそうなるかというおもしろい心理が書いてある。

彼らが愚かな判断をするのは、愚かだからではない。愚かな判断に追い込まれる環境で暮らしているからなのだ。
今晩食べるものがない。どうしょう?とか週末までどうやってやりくりしょう?といった悩みは、大きなバンドウィズ(データ処理能力)を必要とする。

―こうして時間や金銭の欠乏は、人に分別のない判断をさせる。

また、彼等は短期的な問題を処理する能力は高いけど、長期的な問題解決ができないとも書いてある。

つまりは、これは僕の勝手な解釈なんだけど、Appleのジョブズ氏やFacebookのザッカーバーグ氏が似たようなことを言っていたのを思い出した。

「決断の回数を減らすために同じ服を着ている」



これは選択して決断するという行為が、人間の中でかなりメモリを食う作業ということだ。一つ一つの処理は無意識かもしれないけど蓄積されることで判断をにぶらせていく。コンピューターのように同時に複数のアプリやブラウザを立ち上げると高負荷によってCPUがダウンするのとも似ている。

貧困とそうでない人ではデフォルトのスペックは同じでも、心理的な不安をバーチャル脳内で無限ループ(選択→決断)してるから、愚かな行為を選んでしまうのかもしれない。

これは実際の私生活でも感じることがある。金がない不安というのは容易に思考停止を促してくるものだ。


貧困による機会損失

例えば国民一律月に10万でも振り込まれたらどうなるだろうか。

一般的には10万じゃ生活はできないし、せいぜい家賃と食費の一部くらいしか賄えない。でも生活にかかる固定費から10万円を引けるというのは、物は考えようだと思う。

給与+10万があれば、残業を減らして家族との時間をとるかもしれないし、環境的にきつい職場なら転職することも考えられる。

つまり、10万を担保する代わりに時間を効果的に使えるということだ。時間を有効に使えるということは、そのなかで新しいアイディアやプライベートの付加価値が捻出されるかもしれない。

また、今まで好きなことがあってもできない環境にいた人の背中を押すかもしれない。10万という担保によってできない言い訳をなくことができるかもしれない。そうなれば安心してチャレンジができるのではないだろうか。

今日本に必要なのはそういった心の余裕や選択の余地から生まれる新しい付加価値だと思う。

BIがない今では、デフォルトで金のない人は選択の余地が奪われる。金がない不安は先程のバンドウィズ(データ処理能力)を引き起こし思考停止に陥る。そうなれば心が健全な方向に向かうのは難しいだろう。ましてやその不安と葛藤するだけで消耗してしまうから、新しいコトどころではないはずだ。

例え、どんなにいいアイディアがあっても、金がなくてアウトプットする機会が不安定では意味がない。今ではクラウドファンディングなども障壁を取り除くツールになってるけど、BIはさらなる収益機会を経済的弱者に与えるだろうと思う。


ベーシックインカムは誰にでも得するシステム

誰しもが機会を均等に与えられるというのは、もはや21世紀において当たり前のような気がする。

特に先進国ではそれが可能となる財源も確保できるし、1974年にカナダのウィニペグでミンカム(地域限定のベーシックインカム)という社会実験が行われてもう44年も経っている。

今では試験的に導入されている国も増えているし、そろそろ機が熟してきたように思う。

そして、お金を均等に配ればいいというシンプルな発想の裏には、既存の社会福祉システムが煩雑で不透明な部分が多いからだ。

公共事業は誰の役に立っているかも分からないし、年金制度はすでに綻びが生じている。僕たちの世代ではそもそも存在してるかどうかさえ分からない。たとえ存在してても受給条件や経済が変動するなどの要因で、とても保険としての機能は果たさないだろう。

だからシンプルにカネを配ればいい

人は生まれながらにして平等などという言葉があるけど、平等なのは今も昔も時間だけだ。

フランスの経済学者トマ・ピケティ氏のいう資本格差は当然のようにしてあるし、もともと持っている人と持っていない人では稼げる可能性がまったく異なる。例外はあるにせよ、資本に資本を生ますというのは元手がなければそれは不可能だ。

とはいえ資本家階級にたかるのも筋違いだと思う。だからBIという手段はあらゆるレイヤーにとって効率がいいのではないか。

誰がどんなものをどれだけ欲しているのかは誰にも分からないわけで、必要のない現物給付を受けるくらいなら、自由に使えるお金のほうが断然分かりやすくていい。

せいぜい分かる範囲というのはインフラ網くらいで、国はそういったインフラ網の設備を整えることはできるけど、誰が何を求めてるかまでは追いきれない。だから追わなければいけないような煩雑な制度は必要ないんだと思う。

BIを導入すればこういった煩雑な問題は一本化できる。健康保険も公的年金も生活保護もすべてなくして一律の定額給付に統一すれば公平だ。その中でも障がい者など一部手当が必要な人は別途算出すればいいと思う。

これでもう不正受給やら、年金消失やら受給額の引き下げといった面倒な問題に時間を割かれることもなくなる。

これからAIが本格的に稼働すれば、いずれ職業自体が減ってくる。その時に仕事でしか食えないという世界は成り立たなくなると思う。

全員がAI以上のスペックで活躍するのはおそらく難しいだろう。



また、高齢者の中には「ふざけんな、今までの積み立てた年金どうすんだ」という声もあると思うけど、それは以下で小飼氏が説明してるから割愛する。

あとお金持ちの人は別に損なんてしないということも丁寧に書いてくれてる。こういうところが本当にさすがだなーと思う。

結局は損得などの話ではなくて、社会全体の血行不良をなくすために、カネを巡らせようということなんじゃないかな。同じ理屈でいえば内部留保は社会全体に利がないということだけは確かで、死に金やタンス預金も人の手に渡って初めて有用性が生まれる。実はそういったことが一番の機会損失につながってると思う。

財源の確保とAI

相続税を100%にするという超シンプルな方法。



これは2008年にすでに小飼弾著の『働かざる者飢えるべからず』に詳しく書かれているから、そちらを参照して頂ければ、なんとなく実行可能なのが見えてくると思う。

ちなみに『奴隷なき道』ではAIとの競争に勝つとも書いてあるけど、競争に勝つ必要はないと思っている。

どこかの記事でも書いたんだけど、365日24時間フル稼働できるロボットには勝てないし勝つ必要もない。人の手でやる必要のないことはAIに仕事を振っていけばいいと思う。ついでに政治にもAIを導入して、寝てる議員をどんどん削減すればいい。

政府に携わる仕事は、現時点のテクノロジーを駆使すればほとんど自動化できる。役所の窓口業務や選挙もそうで、そういった無人化できる仕事はどんどんAI+クラウド上で処理できるようにすべきだ。

話は戻るけど人間はAIを活用して浮いた時間を生来のやりたいことに使えばいいんじゃないかな。なぜならそのためにここまで技術革新してAIを生み出したわけだから、人がこれ以上忙しく旧来の資本主義を続けるのは本末転倒だと思う。

勝手に思うのはAIとBIを導入しても人はそう大きく変わらない。すでに十分すぎるくらい働く意識があるんだし、その意識を好きなことに注力するだけのことだからだ。好きなこと=マネタイズとは限らないけど、あらゆる可能性は十分に秘めている気がする。

気づけば8時間以上経ってる(笑)どうりで腰が痛い…

ちなみに僕はBIがあろうがなかろうが好きなことだけして生きていこうと思う。まぁ今までにいろいろあって懲りた部分が多いというのもあるけれど。こうして本を読んでカレーを作りに没頭していればそれだけで満足だ。

お金に関して言えば低い水準でも、なんとか頭使ってやりくりするからあまり心配はしてない。それよりも既成概念に囚われて、本当はできることを周囲からの目によってできなくなる方が不幸だ。

もしお金がなければなんにも出来ないというなら、貧困国のほとんどは子どもも生めずに滅びているだろう。しかしそんなことはない。現に彼彼女らはカネの多寡に関係なく歩み続けている。

同じ人間である以上、できないということはないと思う。

ということで、いつになくゆるくなってしまいましたが、お読み頂きありがとうございます。

下は参考書籍と過去記事でーす!

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ありーゔぇでるち

新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在はインドカレー屋やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ