コロナで浮き出たものは人間の本質



あれこれ忙しくて、ブログをやっていたことさえ忘れていた。

なんとかこの非常事態を切り抜けるためにあれこれ手を尽くそうと思ったけど、実はそろそろ収束するのではないかと思っている。

あれこれ手を尽くすのはその場を切り抜けるために必要なのかもしれないけど、その後のことを考えるとどうにも億劫になる。

広げてしまったものを通常に戻った際も継続しなければいけなくなりそうで。。

コロナとは段階的な付き合いが必要になるだろう。

おおまかにコロナ以前、コロナ中、コロナ後と三段階あるけど、以前と以後はイコールではないということを忘れてはいけない。

以前に戻ることはもうない。

そう決断するに十分な期間はおよそ1年~2年と予測している。

もし、あれこれ手を出す必要があるとしたら、それは以前通りに戻らなくても8割は戻った、だから残りの2割を補うためにやる、ってことだろう。

コロナとは一体なんだったのだろうか。

いろいろと見えていくるものはある。

まず、第一に国の脆弱性について

各国に比べて感染者や死者こそは少ない。

これは良かったことだけど、だからといって”日本政府の対応が素晴らしいから”と勘違いさせてはならない。

実際は、実直で規律正しい国民が過半数以上だから、ウイルスをここまで封じることができたのだ。

または東洋人独特の免疫力がコロナに対して有用だったのかもしれない。

総じてさすが”欲しがりません勝つまでは”の思念が根付く国だなと思う。

ただ、それで大打撃を受けた経営者や商店や非正規雇用は大勢いる。

耐えるというのはその後に耐えただけの恩恵があるからこそ耐える意味がある。

勝つ見込みのない籠城は敗北と同義だろう。

その勝率を国は誤って認識していたということが今回の失敗だった。

今にもロープに首をかける状況に迫られてるなかで、マスク2枚(しかも不良品多数)を初撃に打ち出した総理は常軌を逸してる。

次に誰がそのポストを担うか知らないけど、それとは無関係に辞めてもらう必要があるだろう。

また、有事の際の国のシステムについても腐敗が見られた。


忖度や世襲制のみで組まれたずぶずぶシステムはもう完全に先進国から取り残される過去の遺物だ。

給付や助成金には余計な機能が満載で起動することさえ困難であるこんなハードは使い物にならないだろう。

よく国政に携わる職業の方々をエリートと呼ぶけど、一体どこがエリートなのかさっぱり分からない。

分かったことといえば、エリートの脳は自らの保身にだけ全力投球するということだけだ。

せこく複雑なルールを作るのだけは天才的だと思う。

まぁこれは国民にとって害悪でしかないことは自明ではなかろうか。

第二は無関心な一部の人の露呈

僕は多分これらには吐き気をもよおす嫌悪感があるのだけど、

残念ながらそういう片鱗を見てしまったからやるせない。

僕は友人こそ少ないが、その少ないなかでもジャンルだけは豊富だと思っている。

よく、似たような人種で固まるのはあるあるだけど、それだと一方向の価値観しか養えなくなったりするので、個人的にはよろしくない。

そういう意味ではツイッターは千差万別の意見があるので、価値観を均一に保つには手っ取り早いツールだと思う。

で、その残念なことといえば、僕には居酒屋の店長とサラリーマンの友人がいる。

近況を語るLINEで個別に連絡を取ってると、片方は「廃業かもしれない…」という辛い営業実態を語り、片方では「マジ暇、オンライン飲み会しない?」という内容だ。

僕はこの2つのスレを同時展開してて少し嫌気が刺した。

店をやってる立場からすれば圧倒的前者の苦痛が理解できてしまう。

オンライン飲み会をしようと言ってきた友人は、それが当然であるかのように語った。

「もともとそういう道を選んだから自己責任、おれは努力したし会社から給与出てるけど休業だから暇でしかたない」

学生時代の成績はろくでもなかった人が転じてこういうマウントを取り始めるのは社会人デビューあるあるだわなと思いながらも、僕はそうだよねーと会社員時代を思い浮かべてそれなりの回答をしたのだけど。

その友人の会社とて小さな企業なので、きっと休業中の給与は経営者の人間性によって賄われているんだろう。

そう考えるとさっきの言葉はその経営者さえも批判してるということがわかる。


例えばこのコロナで不況になり倒産した場合は「経営者を選択したのは社長の自己責任」ということになり、二言目には「おれはどうすればいいの?無責任だ」ということになるだろう。

当然ながら倒産した場合は、その友人も給与はおろか無職になる。

断腸の思いでやってる今が会社や店にとってどれだけ辛いものなのか、そういう一切を「おれは関係ない」と言って愚かにも勝ち組気取りをしてるのは、経験則の薄っぺらな人間なのだなと思った。

すべてはいろいろなところで繋がってる。自分だけが蚊帳の中というのはありえない。

まぁでもその友人のマウント(ではないだろうけど)の餌食となることは別に苦ではない。

自分が下に見てる人と交友関係を持つのは向こうの安心に繋がるのだとしたら、それはそれで別の生態系を見るようでいい。

実際、強気ななことを言っててもたいしたことないのは知っている。

まずまず歪んだ交友関係を好むものもまぁいないだろうけど、それも一つの趣味だろう。

しかし、おそらくこういう「見えてない人」というのはかなりの割合でいるんだろうなーと。

人間は正直な生き物だから、自分と身の回りの少しが健全に回っていると、その外側のことや世界のことを知ろうとさえしなくなる。

だから僕は成功者と転落者と貧者という3パターンの本やドキュメンタリーをまんべんなく見たりするんだけど、一般的な価値観の人は成功者の物語しか見ようとしない。

だから自己啓発本がよく売れるんだろうな。

でも成功者が一回の失敗(うまく行かない方法を見つけること)もなくキレイな履歴書で今に至るなんてことは99%ないことだ。

まぁ話は小難しくなったけど、非常事態に入った瞬間、無関心層を筆頭に転売ヤーやら買い占め老害やら正義振りかざしマンが沸いてくるのがもう一つの弱点だろう。

コロナは民度と国政、両方を見つめ直すいい機会だと思った。

もちろん人間関係も。

これからも厳しい日々はしばらく続くだろうけど、惑わされずやっていこう。

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