さてさて世間はGWですね~
そんな中、本日相方が恒例のごとく帰省してしまった(笑)
相方がご帰省になられた。
仕事もろくにせず二人で24時間365日いるのにただ笑って時に勉強してる僕らはかなり特異かバカなのか(笑)
でも本人たちが納得してるからあんまり関係ないみたい。
これから三日間の生き方を模索中。あ、そろそろ本返さないとな(笑)— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年5月3日
これから三日間、僕は何をしようかなーと思って今ブログを書き始めたんだけど、最近はよく図書館にいくことが多い。
図書館の設備とクオリティにびっくり。
読みたい新刊9冊も予約しちゃった(笑)
とりあえず本日の収穫!
ちなみにのらくろは相方である(*´ω`) pic.twitter.com/mu1kgaM3t9— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年4月25日
そしてちきりんさんのマーケット感覚から読み始めて。。
あとは納税して社会貢献って、言葉が弱すぎるというか若者には響かない(笑)
求めてるのは間接的な寄与ではなく直接的でリアルなものだと思う。
まぁ税金の運用にも問題がありすぎるからだろうけどw— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年4月28日
金融機関の堅固さはこうゆうところから来てるんだなー。
確かに消費側にはこういった発想はないし、むしろ市場が二分配されてることにすら興味がないのか知らないのかって感じ。
ミニマリストは貯蓄市場だけど、デリバティブ自体断捨離対象になる可能性が高い(笑) pic.twitter.com/4NAejVYmNl— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年4月28日
価値というのは何もモノだけに留まらず、マーケット感覚を養えば身の回りから発見することも十分可能だという。
答えの是非を問う教育はほとんど意味がないと思っていて、それよりもマクロ視点で『答えを導き出す思考力』とか途中経過、もっと言うと動機の根源にそもそもバラエティがないと答えを知る意味がない(笑)
— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年4月28日
途中でなぜか教育について考え出す(笑)
既存の文科省のカリキュラムが終わっているので、子どもに学校行かせたいかと問われた場合は率直にノーと答えたい。
極めて受動的で5教科という非バラエティの中の教育はバイアス人間を生み出すだけだと思う。— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年4月28日
だそうですね。
ちなみにこの場合はナンパか合コンしか選択肢はない(笑) pic.twitter.com/5tF8ptWhKt— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年4月28日
相方は合コンで忖度したw
でも高卒で不細工で年収もなくてコミュ症の人はどこの市場で戦うかを聞きたい(笑)ちきりんさん答えて!
— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年4月28日
基本的にそのとき思った感想をTwitterで列挙(内容とあんまり関係のないことばっかw)しているだけなんだけど。とにかく面白い。
あらゆることが市場化されていくというちきりんさん。
これはもう頷くしかなかった(笑)
で、この市場や価値基準の変化は、何もマーケットだけではなく、すべてのものに言い換えることが出来る。いわば今まで当然だったお上から下る指揮系統は崩壊し、各々が親和性の高いスキルやヒトと結びついていくだろうということ。
ある大きなスキームの中で称賛される価値だけを追い求めるのも良いけど、それは割とカンスト傾向にある。
これからは自分の中だけの価値を見出して、個々の小さな想いを創造してアウトプットしていくことのほうが面白い気がする。
全体から個々へ。
ツリー体系からアメーバ体系へ。— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年5月2日
産業時代はピラミッド型がデフォルトの生き方だったけど、これからの情報社会はフラット(アメーバ状)に横に広がりを見せている。
突き詰めると『あなた個人で何が出来ますか?』という問に誰もが確信を持って生きる時代にこそ新しい価値が生まれるということだ。
今は公務員だろうがフリーランスだろうがサラリーマンだろうが自営業だろうが、いつどうなるかは誰にも分からないし予測するだけ無駄だと思う。
30代でもまだ安定安定言ってるんですね~w
やっぱり団塊界隈の育て親の影響は計り知れないですな^^;
これからの時代ユーチューバーも会社員も是非はないと思います! https://t.co/uJDdijxVBy— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年5月2日
人間、いや動物として生きている以上絶対的な安定などない。
僕は今30歳で、当時僕たちの親世代が教育した内容は予めデフォルトの生き方から、決められたものを強制インストールしてその世界で生きていくというものだった。
あくまで、先代に倣って何かをするという受動的な生き方を強いられていて、デフォルト外のことをやっていると必ず同調圧力に巻き込まれるという感じだろうか。
しかし、この30年間の経済情勢で、むしろインターネットの出現によりそういったデフォルトの価値観は瓦解しつつある。
これからはインストーラー(既存の生き方の選択)ではなくOS(判断する頭脳)そのものとなって、インストールするかどうかさえも自分に委ねられている。必ずしも既存のアプリ(職種や人生)から選ぶ必要はないし、自分で何かを作っていくのが当たり前となる。
次に読んだエリアリノベーションの話にも通じるものがあった。
これまでの都市再生計画まちづくりは行政主体で一方的なピラミッド構造のものだったけど、2003年に同時発足した民間団体によるエリアリノベーションが各地に広がりを見せた。
東京・神田・日本橋(Central East Tokyo:CET)や岡山市問屋町(K’s TERRACE)、長野市善光寺門前(ナノグラフィカ)etc
これらはいずれも小規模なもので、行政を絡ませていない地域も多い。
これはどの団体でも最初は小さなプロジェクトから始まり、共感した人々が順次加わっていくというスタイルをとっている。
今まではお上の指示の下、キレイに整備された無機質(いかにも住みやすそうな)なまちづくりが施されていたが、近代のエリアリノベーションは必ずしも革新的なものではない。
例えば広島の尾道におけるエリアリノベーションは、高低差が激しく一見して住みやすくはないけど、そこには濃密で時にゆるい人との繋がりが育んだ確かな地域愛が形成されている。
行政主体の新しい建物を作るのではなく、古民家や空き家、使わなくなった施設をリノベして、そこへ信頼のあるテナントを誘致するといったミクロ視点な発想だ。それも発足当時は数名による人たちから成されたというのだからすごい。
ここでもやはり行政や団体という大から小へのスキームではなく、個人やグループといった小から大へのアプローチが主となっている。
様々な本の中からある点において共通した意識がみえたことから、以下に語句をまとめてみた。
大【国・大資本主体】 | 対義語 | 小【個人・チーム主体】 | 関連書籍 |
都市計画・まちづくり | エリアリノベーション | ![]() |
|
貨幣経済 | 評価経済 | ![]() |
|
産業時代 | 情報時代 | ![]() |
|
ピラミッド型 | アメーバ型 | ![]() |
|
規制型 | 市場型 | ![]() |
|
~2000年初頭 | 時代の変化 | ~2018年現在 |
多分、こういったものには最近のBIハウスや小さく起業するといった個人規模で何かを起こすというのも含まれていると思う。
で、ここまで書いてて思うんだけど、
完全に時代は個の流れになっているな―ということ。
需要があるものだけをピックアップして供給すると言った当たり前の市場だけがマネタイズされる。
それが普遍的な需給の法則ではあるんだけど、もっともっとアソビ的な分野だったり文化的なものも含めてバラエティに富んだ社会こそが豊かなんだと思う。
— ありーゔぇでるち2.1 (@quartet1115) 2018年5月2日
そして個が望んことが反映されて、それらを十二分に受け入れる社会体制があって初めて人は幸福になれる。というより、やっと人間としてのスタート地点に立てるんじゃないだろうか。
2018年現在において、未だにブラック企業やらヘマしてる政治家を見る限り、この先
政治団体や組織はアテにならない。
ミニマリズムという概念は最小限のものを大事にしてなるべくコストをかけずに生きるって発想だけど、大きなものが揺らいでしまってる今となっては、むしろこういった反動はまともな考えだと思う。
ちきりんさんもロバートキヨサキも『ゲームのルールが変わった』と書いてたけど本当そう感じるw
一番やばいのはどこまで言っても永久安定思考の人だろうな。
僕のような30代の親が同年代の頃、日本はちょうど高度経済成長期でその時に最善と思われた教育を子に施した。しかし、その30年間はこれまで親が経験した30年よりも遥かに変化の潮流が早く、数年前の知識もすぐにカビが生えるようなものになってしまった。
だからその考えを既に過去のものだと捉えて新しいルールを学んでいる人と、いつまでも過去を反復している人ではこの先大きな差が出てくると思う。
このあたりもちきりんさんの本に書いてあったけど『やってみて決める』って感じでガンガン進めていかないと、完成したときには既に日が没しているというのは十分あり得る。
まぁそれはあくまで起業家レベルの話であって、自分のような弱者が出来ることといえば、多角的な情報収集に尽きる。とりあえず最低限の金があれば生命は維持できるから、それよりも興味あることを勉強する。
大学ではまったくと言っていいほどしなかった勉強だけど、改めてゆるくやってみるとそれが意外と質の違うものだと気づいて楽しくなってくるものだ。
phaさんが書いてた本の中に「何がどうなってるのか知りたい」といったような漠然で抽象的な文言があったけど、あれ、何となく分かる気がするんだよな。
役に立つかどうかは別として、知りたくなるっていう時が自分にもある。
それは世間的に生産性がなく無駄なことかも知れないけど、本来は無駄かどうかなんてことさえ誰も知りえないはずだw人生はみんな一周目なんだから。
お読み頂きありがとうございます。
コメントを残す