いつにもまして、日曜は人の出が多い。
そんななか昨日からジョギングを始めた。
ここ5ヶ月部屋にほとんどこもっていたせいか、贅肉がふんだんについている。心なしか体が重いと心もスッキリしない。
もともと遺伝的に太りやすい体質なのはこれまでの経緯で十分わかっている。
大学の頃はとりあえずバイト代でジムに通い、居酒屋で樽生の缶を持ち上げながら夜中に筋トレするというのが大事な仕事の一部だった。
今思えばその行動自体がチャラさとして映るのが面白い。もう10年くらい前の話だけれど。。
一度でも最高潮まで太ってダイエットした場合、次に太ってもあまり苦にならない。
過去の情報から、これくらいの肉付きならこのくらいの期間の有酸素運動をすればいいだろうという具合に経験則で判断できる。
また、肉体的にも一度落とした経験がある脂肪というのは再発しても落としやすくついてる気がする。本人としても『一度はお前を闇に葬った勇者なんだぞ』という自負があるw
とはいえ、一年スパンで肉のコントロールをするというのは面倒だ。もう何回目だろうか。
僕の場合は贅沢なものを食べてついた肉ではなく量の問題が大きい。なぜか人間は引きこもっていようが働いていようがとにかくお腹は同じくらい空いてくる。
時には動かないときのほうが空いてきたりするくらいだ。
でも動かなければカロリー消費をすることはできない。こういうところだけはとても合理的にできている。厄介なことに。
最近は外に出てることも増えてきた。
冬はウインタースポーツをしているとき以外すべてが億劫になる。
特に今年は浅草で間借りという事故があって、そのエネルギーをフラットにするため時間がかかった。
しかし思い返せば外はもう暑いくらいになってる。
冬眠から覚めた熊のようにのこのこと家から出始めた。
僕の家は墨田区のスカイツリー付近にあるんだけど、ここにいる意味は特にないw
浅草で仕事をするために借りたアパートだが、肝心な仕事は引越して2ヶ月も経たずに破綻したからだ。
せっかくだから何があるか調べてみるんだけど、メジャーな施設はすぐに飽きる。
そこで一番なにかを潰すのに役立つ施設は図書館であるということに気付いた。
こうして、僕の図書館通いが始まった。
小飼弾さんも大原扁理さんもphaさんもみな図書館をある種の避難場所として使ってた経緯がある。
僕は小難しい本を読むのは苦手だ。
なにせ22歳まで活字本を読むことがなかったからだ。
しかしこの歳になってくると何かに深々と没頭したくなるときがある。
特に僕は生まれてこの方あれこれという他人の目線で生きてきた。
~こうしろ~こうであるべき~それはやるな
という当然のような暗示に。
『おれはどうやって生きていこう』と深く考えられる時間もなかったように思う。
だから、本の世界はとても新鮮だ。
当時の書き手と会話するように読むことが出来る。
最近は特に社会派の本を読み漁ってる。もちろん局所的な選び方というのも良くないと思うんだけど、「よくない」とか抽象的な思考に縛られずに本を読みたい。そんな感じで気づけばその方向に偏っていた感がある。
ただその偏りの中でも書き手は何人かいるから、ミクロの部分である共通点というかそういうものが見えてくる。
一番大きな共通点でいえば『振り切る勇気』だ。
どんなジャンルでさえ徹底して突き通すことで価値がでる。
極端にいえば『バリバリな勉強家』『バリバリなニート』『バリバリな奢られ屋』という具合にバリバリな+名詞さえ見つかれば頭一つ抜きん出ることができる。
しかし一番の問題児(僕のような)はすべてが中途半端だと思っている人なのだ。
中途半端というのが問題なのではなく、「中途半端な自分」と思い込んでしまうことに問題がある。
どれも中~下のスキルで強い意志や目標もないまま生きてきてしまった、僕と同じような人は少なからずいると思う。
中途半端な学歴に中途半端なキャリア、好きなこともなくただ言われたとおりのレールに沿ってきてしまった。
そして、いつしかレールから脱線し手元に残ったのは中途半端に散りばめられた点だった。
それらは自分の記憶と結びつけることができても、現実のキャリアには結びつかない浮いたプライドたちだ。
そんな悪性腫瘍のようなものに悩んで、いつまでも小さなプライドや世間のしきたりに縛られている人も多いのではないか。だから生きづらいという言葉出てくる。
レールから逸れてダメージを受け、さらにレールからそれてしまった半端な自分に対してまた苦しむ。こんな二重苦はバカげている。
日本は一つのことを極めることにとても拘るけど、実際にすごい人はわりとマルチプレーヤーが多いことに気づく。多角的に物事を見れるのはある意味一つに焦点をあててないからだと思う。
だから中途半端ではなくマルチプレーヤーだとそう思えばいい。
学校、会社すべてにおいて平均以下の負組で、差別化できるような能力は何もない。
曖昧なままだらだら逃げて決めずを繰り返して、あーどうすんだろと悩む30代。
何かあればリーマンショックを持ち出して言い訳。こんな自分は糞食らえだと思った。— ありーゔぇでるち2.3 (@quartet1115) 2018年5月17日
行き着くところ、結局は自分のあるがまま生きていくのが一番なんだなと思う。
そりゃもう本当に自分本意に。
~しなければならない(何かを極めなければいけない)という思い込み。
中途半端な人だという思い込み。
これらはもう完全にデリートしよう。
思い込むのではなく本気でそう思えるような人生の歩き方をする。
本はそういった意味でも、散りばめられた点をふわっと結びつけてくれて、長所をあぶり出すのに役立つ。
これまでの教育や思考の習慣というのは本当に強いから、時間はかかるかもしれないけど、もう過去の自分に戻ることはないだろう。
人生は今と今より先が何より大事なのだから。
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