自分を信じるなんて大層なことだとは思ってるけど、まぁそれが確信的になってきてるのは本当だ。
コロナ以前からいろいろごちゃごちゃしたものが増えてきたように感じた。
You Tubeでオンラインサロンだの、インフルエンサーだの、フォロワー集めだの、ブロガーだの、信者ビジネスだの、スローライフだの、ミニマリストだの、FIREだの、、と。
一見して、革新的でこれからの期待値が高そうなジャンルに見えるのだろうが、これはただ単に個人が生き抜く業でしかない。
あとはテクノロジー頼りになってそれが最先端でイケてると思い込みたいだけなのかもしれない。
つまり後追いしてる、誰かの真似事をしてる時点でもうオワコンだ。
今挙げたワードひとつひとつ、100年後も続いてるか。
個人的な意見をいえば、続かない一過性であるし内容が普遍的ではない。
いつの時代でもあるような流行りのようなものだろうと思う。
なぜそう思ったのか、それは僕がブログを書き始めたきっかけとなったある人物を定期的に追ってるからだ。
まぁ、初手は人のマネから入るというのは王道なのでそれはいいとして、その人物は常に同じことを繰り返している。
もちろん、本人ではないので細かいことは知らないけど、第三者からみれば同じことのように見える。
派遣を転々としてその都度切られては失業保険ネタをあげて、トレンドのインフルエンサーの書籍やらYou Tubeを語りだす。
本人の自由を否定することを書く僕も大概ではあるが、何が足りてないかを一言で書くとそれは核がないことだ。
様々な制度やサービスにフリーライドして、いかに効率よく賢く生きるか、、よくいるいいとこ取りみたいな人なんだけど、そういうのってやっぱり無理ゲーなんだなってつくづく思います。
所詮、他人の作り上げた制度やサービスであって、それ以外はユーザーでしかない。
布教させるのに好都合な人になってるだけだ。
本人は賢く立ち回ってるように言うけど、それは今までの派遣切りが物語ってるのではないかと思う。
曰く、優秀すぎるから切られる、新卒からしがみつく正社員は無能だから優秀な派遣を恐れ、最後に切るカードが退職させることであると。。
まぁそこまで言い切って、それが20代で分かってるならなぜそうしなかったんだろうという単純な疑問が浮かびます。
であるし、そもそもそういう上から目線が足元をすくわれる原因なんじゃないかなって。
あとは固定概念が強すぎて、これ以上のアップデートが無理そうにも思える。
ソフトはできてもハードが載せ替えられないって感じだろうか。
僕も上から目線で何を言ってるんだろうと思うけど、やっぱり核がないリスクを負いたくないけど良い思いをしたい、みたいな人って駄目なんだなと思う。
たいていそういう人って他者頼りに生きてるくせに文句が多いし、それかやせ我慢して仕事にやりがいがあるとか洗脳されてるのどっちかだからな。
それで核がないからフラフラ流行り物のコンテンツに流さられる。
そこの無限ループを繰り返してるって感じ。
僕は33年間のあいだにある意味でたくさんヒト・モノ・コトを経験してきたと思います。
1ミリもキラキラ要素はないけど。
まぁこのブログ自体に掃き溜められてるのが証拠かな。
経過は散々だけどそんな腐れ人生な僕でもしょーもなくなっていく人っていうのはわかる。
- プライドが高い
- 本人が思ってる以上にできてない
- 固定概念に縛られている
- 他力本願
- ローリスクハイリターンばかり求める
- 机上論で知識があると思い込むも行動はしない
- 人間味がない
これはまず間違いないだろうなと。
本当に見事にそういう知人たちはしょーもなくなってます。
自分も文句ばかりを言ってるけど、現状を憂う文句を述べる以上、少なからず半歩でも一ミリでも改善していってるから。
そして個人的にはリスクはあるけど抜本的にハードごとぶん投げて根底から作り変える、みたいなクレイジーさは好きなんですよね。
もちろんそれを発動すると生活破綻する可能性が高いので、次は周到すぎて死ぬくらいに計画するつもりだけど。
何かを変えたいのに現状にブツブツ念仏唱えてても仕方ないと思うんです。
あとはインフルエンサーに絆されてるのは時間の無駄かなって。
結局ブルーオーシャンなのは配信者本人と古参の信者数人だけだから。
何度も言っててしつこいけどやっぱり核なんです。
そこがないといつまでも真似事になってしまうような気がしますね。
連休初日から何を書いてるんだと思うけど、、なんていうか少し残念な気分になりました。
めちゃくちゃ勝手で個人的な感想だけど。
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