とりあえずスープを煮込んでる間にブログでも。
最近思ったのはWordPressはちょっとどうでもいいことを書こうとすると何となく気が重くなってしまうということ。
家にあるデスクトップはスペックがまぁまぁ良いほうだからサクサク(それでも重く感じる…)いくけど自前の古いノート型だともはやその気さえ失せかねない。
仕事の都合でnoteを使ってるけどあれは使いやすい。
思ったことを瞬時に書き留めるには向いてるし、本来の機能であるマンガやイラストといったテーマを元に有料マガジンを作成することもできる(自分はやっていないが)
もともとwebデザインを少しかじった自分にとっては外観をカスタマイズしたり、プラグインでいろんな機能を拡張させるといったところで選んだわけだけど、本当に文章や情報を発信するのに特化しているのははてなブログなのではないかと思う。
正直に言えば欲しい情報や面白いブログは見た目の装飾などさほど気にならない。ただ動線やフォントの行間は気になったりするけど、それでもやはり内容だ。
僕ももともと無料のブログを一番最初に始めたのはライブドアとはてなだったが、しかしその時に書いていたことはかなり稚拙だった為、今では更新は愚かおそらくアカウントを消してしまったw
思ったことをそのまま文章にすればいいだけのことなんだけど、それが意外と難しく、かといってリアルなコミュニケーションはさらに難しい。だからせめて文章だけはということで本は読むようにしている。
大学4年生までまともに活字本を読んだことなかっただけに、最初はかなり抵抗があった。活字本が苦手な人に共通するのは、あの開いた瞬間文字が羅列されている光景じゃなかろうか。
少なくとも僕はあのわぁっと広がる文字の海原にいつも抵抗があった。
しかし22歳の当時今でも覚えているのは最初に活字本を読もうとしたきっかけは、「なんか大人っぽくなりたかった」「活字を読んでいる自分はイケてる」という大分歪曲した動機だった。神保町をフラついてて何気なく三省堂に入り、買った本は伊坂幸太郎さんの「週末のフール」だった。
なぜこれを選択したのかは分からないけど、当時一緒にいた人がわりと本を読む人で、たしか東野圭吾さんや村上春樹さんの作品を読んでいた。それに倣ってか、いや、倣うのは何となく恥ずかしかったというか負けたくなかった(よくわからない心理だが…)から別の著者の小説にした。
年上の異性を相手に何となく負けたくない感があるのは、妙な男の自尊心というやつだったのかもしれない。思えばなんというか幼稚だなぁ。本の魅力に気づいた今となってはそういうところこそ本当に読んだことのない人の悪あがきのようであった。
まぁ、店頭でピックアップされたものを数分見て買ったから、きっとどれを選んでも初心者の自分にとっては同じようなもので、目標は読了することにあった。
週末のフールについては何となくではあるが鮮明に記憶している。内容というよりは、その書き方だった。
たしかあれは複数人の登場人物がそれぞれ共時性に添って流れていくストーリーで、初心者の自分にとってはとっつきにくいものを選んでしまったような気がした。実際はああやって複数が絶妙に絡み合う物語を書けるというのは凄いことだと思うんだけど、当時の僕にとっては主人公は一人という先入観があり困惑した記憶がある。
phaさんの知の整理術にも書いてあったけど、メタデータが云々ということらしい。この場合は「初めて」「複数の主人公」「本屋でピックアップされてた」という明確な情報がストック型の記憶に残す要因になったんだろうなと。まだ読みかけだからこれもそのうちブログに書ければいいなと思う。
大学のスキマ時間になんとかそれを一週間近くかかりながらも読み終えた。この時はまだ本の面白さは理解できず、次はノルウェーの森にチャレンジした。あれは何となく年頃というか流行りというか、映画にもなったけど珍しく小説・映画ともに面白かった気がする。
とはいえ内容はダークだったが、なぜかあの時に初めて感情移入するような感覚を覚えた。あれもなぜ記憶に残ってるかというと、きっと「恋」「曖昧」「不毛」「ドロドロ」とかそんなようなメタデータがあるからだろう。あとはバイト先の後輩が読んでいたことも大きい。
情報に関する情報というのは一見頭がこんがらがりそうになる。phaさんは赤子でもわかりやすく説明しているであろう、僕はやはり読解力がない。そりゃ22で初めて活字を読むのであれば遅れていて当然かと思うが…最近本を読む暇がないから作らなきゃいかんな。
と、そろそろスープが出来上がってきた。
今日は寒いなー。何気に追記してしまったから最初より少し長めになりました(笑)


白湯の煮込み前と試食。ネギだけというのが切ないが、スープは濃厚で美味しかった。
お読み頂きありがとうございます。
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