気づけば3月
かろうじて実家の池のカエルが大量発生して季節を感じることができた。
あっという間に流れてく歳月は実際にあっという間もないですね。
このあいだ2ヶ月前退去申請の法則を忘れながら内見だけしようとした愚か者ですが、
一昨日、大嫌いなFAXで流しました。
てきとーに5月のGW開けくらいだろうなと。
GWはなにげに引っ越しする人が多く費用が割高になるらしいです。
さてどこに住もう。
本来ならもう自然豊かな田舎に行きたいところだが、店に通勤する以上それは無理だ。
都内ってのはそこに住むだけの価値を十分に上回るほどの利益を回収してこれる人が住むべきで、それ以外はメリットがないんですね。
もちろん集いやすいとか、主要なイベントがあるとか、遊ぶ場所があるとか、
上記の場合はメリットでしょうが、それらにまったく関与しない人にはデメリットでしかありません。
おすすめの一節 “その化け物は都市住民自身の内面に潜むがゆえに、私たちの目には見えない。だからこそ数値化も難しく、社会課題になりづらい。しかしその「見えない化け物」は確実に個人を、社会を深く蝕んでいる。” https://t.co/8OCpIMqdae
— ありーゔぇでるち@5月までに引越し (@quartet1115) March 4, 2019
実に興味深い関係人口の本です。
地方と都会の光と闇が惜しげなく書かれていて、読み手としてはどこか昔に取り残してきた望郷のような思いを馳せます。
本来、人間と自然は共依存関係にあるんだけど、それが分断されたのが都会という逼迫した場所だ。
反対に地方では一次産業の担い手がいなく、高齢者がその役割をなんとか必死に支えている。
ほんこれ。
飲食とかもそうだけど価値を低く見積もられすぎのような気がする。 “食べものの裏側にある価値を伝える情報が消費者にない結果、生産者の現場は「きつい、きたない、かっこ悪い、稼げない」、挙げ句の果てには「結婚できない」5… https://t.co/VuwJHgMVwJ— ありーゔぇでるち@5月までに引越し (@quartet1115) March 7, 2019
地方の人は夢というある種の妄想に胸をときめかせて都会を目指し、都会は閉塞感に包まれてひたすら無関心な風が日々をあくせくと掃いていく。
かくゆうこの手のことは学生時代に専攻していた分野でもある。
当時でさえ双方に補完できない弱みをお互いに補い合っていくのが、地方と都会の理想とされるカタチだとされていた。
僕は都会生まれの都会育ちでふるさとなんてものはない。
長野に作家が引きこもるのに最適な田舎があったが、所有権が親戚にうつり今は行けない。
ただただ、帰省という言葉に憧れる。
一息つくために帰れる場所があるのは本当に羨ましいことだ。
自分も一度は脱出したもののやはり繋がりのない地方では孤立してしまい、都会に引き戻された。
当時TwitterのようなSNSを駆使していればもう少し話は変わったかもしれないけど、ネット環境を構築する金もなかったし、離婚後の満身創痍でそれどころではなかった。
好きでもない仕事をしながら、それを誰にも言えず過ごしていく日々には微塵の意味もない。
ただ、二年間地方に住んだことで、僅かながらに地方のメリットはもちろん、デメリットを垣間見ることができたのは大きい。
地元愛や過干渉、仕事のアナログ度がすこぶるだるかった。
今、店でも効率化を目論むこの性格は勤めていたときから相変わらず顔だしてくる。
レシピの数値がないなら作ればいい。
毎回毎回、ここは何グラムだとかこの調味料はアレルギーがなんちゃらと叫んでる職場にはうんざりだ。
かといって進言すれば出る杭は打たれる。
そういう意味では都会で合理化された仕事は、とても効率がいいと思えた。
しかし、それも繰り返していくとやはり「見えない化け物」が個に住み着いてくる。
というより、自分の店をやっててもその化け物は払拭できないのだ。
雇われる仕事✗
自営の仕事✗
そもそも狭い世界に拘束されているのが苦痛なのだろう。
しかも平均よりも労働時間が長いにも関わらず、少ない休みでなおかつ都会に住めるだけの可処分所得を生み出せない。
地方に脱出しようにも情報収集しに行く時間もない。
こうなるとひたすら日々回転し続けるラットレースの始まりだ。
そもそも根底からして破綻してるのがよくわかるけど、これは時間が解決するだろう。
化け物というのはこういった物理的な貧困と精神的な貧困と孤立が混ざりあったときにちょうど生成されるのだろう。
僕は自営の底辺ではあるけど、これは非正規の勤め人と似通った部分があって、どちらにせよ都会に埋もれる弱者は同じ大きさの化け物を抱えているに違いない。
最近は、以前にくらべてさらにどうでもいいと思うことが多くなり、概ね人にどう思われても構わずブログも日本語が書ければいいなくらいになった。
文脈もくそもなくていい。
ただ楽にここに思ったことを吐き出せればいいなと思う。
さぁ、振り出しに戻るが、どこへ引っ越そうか。
ちなみに足○区と墨○区と江○川区はナシ。
DQNが多すぎて、会話が成立しないうえに無用なストレスがたまる。
一番いいのは文京区なんだけど、あの界隈は大家の意識がまだバブリーなので、基本敷礼はガッツリ取られる。
それにランニングコストがかかりすぎて早晩死ぬだろう。
もう住居も流動性だけ意識してSIMフリー化してくれんかなー。
そういや、、このあいだ”耐える意味”のようなことを聞かれたからここへ書くけど、それはすごくシンプルで
ツケを払わないで逃げた人にはツケを払わせるのが筋だということです。
そのツケは、土地という不動産の売却益で賄われるようにする。
都内で遊ばせてる土地は本来アパート建てて不労所得にもってくのが理想だけど、そのための準備を誰もせずにただただ朽ちていくだけの家はもはや更地にして売却するのが一番いい。
庭のカエルでさえ、今僕らが済んでいる部屋の3倍はあるであろう敷地に住んでいる。
『ゆとり・風情』などといって資産を産まない遊休地を放置しているのは周囲3kmのぞいてもうちくらいでしょう。
だから生物が住み着いてしまう(好ましいことだけど近隣からの苦情が殺到するので…)
それでいて箱内に住んでる家族は貧困と高齢化に喘いでいるのですから。
実に馬鹿げていますね。
カエルを売ってビジネスにでもしてちょーだい。
疲れたのでおわります。
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