環境を変えて気づいたこと



一ヶ月ぶりのブログ更新

ここ一ヶ月はいろんなことがあった。

無事引っ越しが終わって不足はあるものの、一応荷解きも終わって日常生活ができるくらいのレベルになりました。

しかし、まぁ今の物件が決まるまでもいろいろなことがあって、引っ越しが決まってからも荷造りと仕事でバタバタしてたな。

前回のブログが見事にそれを物語っているw

労働という戦場から一時帰宅したありーゔぇでるちです。ここからはしばし自分の時間を持てるので、久々にブログを書こうということに。気づいたベースで書き散らかすと...

まぁそんな愚痴も終わってみれば一瞬のことだったなと思うわけです。

というか、前回住んでいた墨田区某所は約1年半だったけど、そもそも病む原因が多すぎたんだろうと思う。

住んでる期間に書いてるブログは今読み返すと荒みすぎてて、なんか痛々しいとさえ感じてしまう。

もとはといえば浅草での開業を機にワンルームに引っ越したわけだけど、そのときは住むところにお金をかけることが困難だった。

開業すれば曲りなりとも二店舗目ということになるから、集客面は心配してなかったし、おそらくすぐにもう少し広い場所に引っ越せるだろうと踏んでいたから。

まぁその浅はかさが地獄の原因を作り出すことになろうとは思ってもみなかったんだけど。。

少なくとも町田にいる頃の後半は通販の売上が伸び悩み、半ばまともな意思決定ができなかった。

それがゆえに美味しい口車に乗ってしまった自分は、人生最大の失敗として猛省しなければならない。

人間は追い詰められてるときこそ、思わぬ血迷った行動に出るものだ。

平静のときは『自分に限ってそんなことはありえない』と思っていても、それが血迷っても気づかないくらいになるのだから恐ろしい。



詳細は当時のブログを貼っておきますw

こんばんは。独立志望、飲食店開業、クリエーター、何かにチャレンジしたい学生さん、これ以上被害者を出したくないのでここに書きます。ただいま人生において最強のブ...

それもこれもすべてが無に帰した今では、以前よりも少しは賢くなれたのかなーとプラスに捉えてあとは前に進むだけと考えています。

住むところは言うまでもなく大事

まぁ以前住んでた墨田区はこう言ってはなんだけど、正直に民度の問題を感じることが多かった。

アパートのゴミ集積場には明らかな産業廃棄物が捨てられていたり、まんまダンボールが投げてあったり、ペットボトルもラベルそのままはまだしも中身が吹きこぼれていたりした。

掃除のおばちゃんが毎日来るので、そのあとは整理されてるのだけど、結局また数日経てば無造作なゴミの山ができる。

アパートの住人は僕も含めて、毎朝それを見てるはずなのに、なぜああいったことが平然とできるのか理解に苦しむ。

次は、騒音だ。

毎日ではないけど数ヶ月に一度はこういった怒鳴り声が聞こえてきたりする。

しかも聞いてみれば、自転車の位置がズレてるとか何だとかで、そんなことかよというレベルの話である。

あとは朝と夜にバカでかいくしゃみをする人物がいたり、明らかにゴミ屋敷化してるであろう部屋もあったせいか、たまに共用部から異臭がすることもあった。

吹き抜けの共用部にもかかわらず過度なアルコールと煙草のニオイが絶えず充満してるというのは異常だと思う。

まぁそういった環境だから、外に出てもまぁって感じです。

歩きタバコポイ捨てやぶつかりおじさん、競輪選手顔負け主婦の爆走チャリ、極めつけは居酒屋から出てきたフラッフラのおっさんが、爆音立てながら原付で信号無視して帰っていく光景。

さすがに赤羽出身の僕でさえビビリましたわ。

この地域にモラルってもんはないのか。

ただでさえ自分がダークな心境だったのにオモテでもこんな状況だとさすがに参りました。

かといって家に帰ってもワンルームの部屋では座るか寝ることしかできない。

だからそのストレスを仕事やブログに当ててたんだなと思います。

今はなんの躊躇もなく家と外を行き来できるといった環境に正直びっくりしているけど、それが当たり前だったんだな。

たしかにあの場所は下町の情緒ある町並みやそのあたりに井戸があったり、スカイツリーなどのランドマークがあるのは魅力だけど、住んでしまうとその影に潜むものを見ざるを得ない。

それは予想してたよりも深い闇だったのだ。

闇は広がっているけど生きる

闇つながりでいうと、ここ一ヶ月で世間をニュースで賑わせたことがある。

1つ目は登戸の通り魔


2つ目は元農水次官が息子を刺殺した件

3つ目は年金無理です案件

まぁ正直にいえば、ゆっくりとしかし確実に蝕まれつつある日本。

しかもこういうニュースを聞いても、もはや驚くよりなんとなく理解できてしまう側にいる自分。

明らかに逼迫してる。

僕の中ではこういった度重なるニュースと自分の引越で環境が変わったことがどこかで交わり、なんとなく思ったことがあった。

それは、どんな形であれ生きていこうということ。

たとえ年金がどうなろうが、殺人やテロが起きようが、自分は自分の持つ信念を貫いて生きていこうと思った。

人間、いや動物である限りいずれは死ぬんだ。

死という壇上の前には勝ち組も負け組もバカも天才も上級国民も貧民もブサイクもイケメンもすべては等しく無効だから。

ファミコンのように死期がくれば電源をカチッと切られ、隣の誰かはアマゾンをポチって到着を待ちわびてるのかもしれない。

もはや言い表せないけどそんなようなシンクロニシティ。



世の中が荒れれば荒れるほど、B型は逆向に燃えてくる性格なのか、そもそも自らがすでに荒野を歩いてきたからなのか。

理由はよくわからないけど、きっと一億総中流の社会では今以上に生き辛くなっていたとさえ思う。

それは、ばらつきがある中に実は生きるヒントやチャンス、面白みがあるのではないか、、と勘ぐってしまうからだろうな。

画一的な環境ではそういったスリルも味わえない。

金があればあったで親の権威を纏いながらもその実は劣等感に悩まされ、或いは覚醒剤やくだらん私欲を満たすために身を滅ぼすことも少なくない。

ともすれば金持ち=勝ち組というのは絶対的ではなくなってきた

性格が悪い貧者からすればむしろいい気味だと思ってしまうよね。

そのレイヤーもいろんな誘惑と隣合わせなわけで、手に入れたものはいずれ必ず飽きる。

そのとき他人に振り回されるような本質を持たない人間はさらなる欲望の落とし穴に落ちるということだろう。

欲には際限がない。

それよりも小さなことに満足できる心のほうがずっと強固な安定じゃないか。

引っ越して思ったのは、そういった当たり前のように感じる取るに足らないことが実はかなりクオリティの高い満足度につながっているという再発見だ。

ただ間取りがワンルームから1DKになったこと。

(これでも狭いという人は大勢いるだろうが)

便座を見ずにお風呂にゆったり浸かれること。

広めのキッチンで料理ができること。

収納できること。

机があること。

こんなちっぽけなことでさえも感動できるのだから。

病んでる人はみんな引っ越してみてはどうか、、とそう思いました。

世界が変わって見えますよw

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ABOUTこの記事をかいた人

ありーゔぇでるち

新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在はインドカレー屋やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ