どうやら爆睡してしまったらしい。
今日は3時過ぎに閉店したあと、次の日の仕込みをして夕方に帰ってきた。
現在、私は両親不在の店を切り盛りして3日目になる31歳の働き盛り男児のハズなんだが、
何かがおかしい。
すでに消耗しきって『これは一体…??!!!』と心の中で見えない敵とシャドーしている感覚だ。
3日目の感想。 pic.twitter.com/9EiUNXvh30
— ありーゔぇでるち@低浮上 (@quartet1115) 2019年1月30日
まず原因がわからないのが腑に落ちない。
7時(仕込み)
11時半(オープン)
15時(クローズ)
17時半(オープン)今日はこの時点で帰宅
20時(クローズ)
客観的に見てもそんなに疲れるものだろうか。
私はこれでも学生時代のころ、バイトの分際で居酒屋社畜を経験している。
15時ー翌5時の勤務もざらではなかった。
だから小さい店舗で品数も3つしかない飲食店など朝飯前だと思っていたが、、なんだこの疲労感は。

そう、まるでなにか大事なコアの部分を破壊されたかのように、毎日なにが起こってるのか意識できない。
作業はしているものの、その記憶が曖昧かつ、自我を感じられない時間だけが淡々と流れている。
分かりますかね。。心ここにあらず的な。
多分、かなり長時間、あるいは過酷な仕事に従事したことがある方ならすぐにお分かり頂けるかと思います。
すなわちこれは。
死んでいるのに生きているブチャラティそのもの。
世間の人々がもしこういった労働、、いやこれ以上の人もいるだろうが、平然と歩んでいるのだとしたら、化け物なのではないかと思う。
私、ありーゔぇでるちの両親は、このような生活を
23年間週6で続けていただとぉぉぉぉぉおおおっっ!!!
やはりマキシマリストは労働もフルマキシマムだ。
まるで歩兵をいともしないキングタイガーのようだ。
ありーゔぇでるちは思う。
同じ人間なのにこれは一体どういうことなのかと。

そうか、おれには覚悟が足りていないんだな。
それもそのはずなんだ。
こんなことは公に言うことはできないが、もともと飲食店をやりたくないから、通販を始めたんだ。
子どもの頃からあの労働最前線に身をうずめる両親を私はずっと見ていた。
だから、生きていく中で掃除屋や飲食店のような3K肉体労働、
経理事務やweb系の頭脳労働といった両方を経験してきた。
そこで自分は知ってしまった。
金を稼ぐだけであれば遥かに
頭脳労働のほうが効率がいいことを。
(もちろん親には感謝しているが)
しかし、どちらも中途半端な立場でふらふらしてたらいつの間にかこういったことになってしまった。
自業自得なのは百も承知だがいいたいことはやめられないんだよな。
家業というのはいろんな人の意思や思惑が介在しているからなおさら。
飲食店はバイトであれば高時給のところもあるが(居酒屋やバーテンダーなど)個人店でやるのは少し考えものかもしれないと思ってしまうこともしばしばある。
それは経理などの経営状況の一切を知っているからだ。
例えば、、
仮に二人の稼働でさきほど書いた時間帯(7:00~20:00)で日給1万だとしたらみんなやるだろうか。
もちろん社会保障(有給・ボーナス・社会保険等)はない。
時給換算で769円

この霞がかる疲労感で、、
さ、最低時給を大いに下回っているだとぉぉぉおッッ!

でも計算的には慣らすとこうなる。
もちろん昔の15年くらいまえの最盛期のころであれば、
『さすが自営業!そこにシビれる!あこがれるゥ! 』
と呼べるくらいの旨味はあったのも事実だが、わいは経験してない。
それに今の経済的な事情や消費税増税もあるうえに自営業は累進課税なのが痛い。
すなわち、稼げば稼ぐほど税金が倍々ゲームになっていく。
そして、商品を作る量も倍々ゲームになっていく。
もれなく疲労感も。
損益分岐点を超えてからの差額が儲けになるわけだが←本当はここからが正念場
すでに差額が生じる時点で疲れ切ってしまっている。
しかし回転し続けなければならない。
このような状況と知っていながら、これを続けるのか。

朝の仕込み中にちょっとリアルな会話をした。




あるところにはある。生活費を補える分だけ拝借しても許される、はずだ。

8%になったときは上げてないわけだし…そもそも手作りのものと工場生産とが同じ価格帯ってのがありえないことだと思うわけ。

わいと彼女の会話はまるで『越後屋、お主も悪よのう〜』という悪代官そのものだ。
しかし、あえて言ってしまえば当初の値段設定した親は、原価や算出方法のすべてを知らずに、だいたいこのくらいだろうという感覚で値付けしてしまった。
だから売上と労働量が見合ってないような状態になってしまったのだ。
こんなことを話してて気づいたことがある。
そういえば長らくニート生活を経て、すっかりなまってしまっているのかもしれない、と。
ブログやTwitterに慣れ親しんだのも大きいか。
実はみんなわりとゆるく生きてるよな~とかさ。
思えば若い頃にすでに働きすぎてたせいか、労働意欲というのがめっきり湧いてこない。
働いても働いても、自分の中にある『本当はこのくらいもらってもいいはずだよな』という感覚が世間の労働市場と一致しない。
今でさえ月給にして今の倍以上じゃないとおかしいとさえ思っている。
その時点でおれは激しく終わってるのかもしれないな。
理想と現実とのギャップが激しい奴は精神を病むか犯罪者になるという末路しかないのは自明じゃないか。
それに日本にいる以上、餓死して死なないというのは有名な話だし、、今更魂を投げ売ってまでそんなにモーレツ社員になる必要があるのだろうかとも考えている。
あまりにも忙しくて疲れたので閉店して帰ってきた。もちろん在庫も少。
これでも10時間、普段はさらにあと3時間あることを考えるとこの労働システムは地獄だな。
飲食店の人手不足は至極当然だと思う。
— ありーゔぇでるち@低浮上 (@quartet1115) 2019年1月31日

もしやるなら、おれの本当の仕事はルーチンじゃねぇはずだ。
多分、そこが決定的に違うんだろう。
変えて、それが反感を買うかもしれない。
特に二代目とされる人への風当たりはかなり強い。
下手したら終わるかもしれない。
まぁそれはそれでいいんだけどな。
でも何もやらずにこのまま嘆いているのはゴメンだよ。
毎度、同じことを書くのも。
じゃなければ続ける意味はないんだ。

日本人は働きすぎることが慣例化されててマジで困るのな。
もっと肩の力抜こうよね。
だめだ、ブログ書けただけで奇跡。
明日も、いや、今日もやるしかない。
やっていこう。