最近、常々感じることがある。
ゆとりというのは継承されていく、生まれ持っての特権階級だということを。
その正のサイクルに乗れば誰しもイージーモードなものだと思う。
例えば、今回のコロナの一件にしても、サービス業やショービジネスは軒並み悲鳴を上げることになった。
仕事に行っても死、いかなくても死、しかし行かないよりはわずかに延命されるであろうことを期待して行かざるを得ない。
もちろん感染リスクを背負うことは織り込み済みだ。
しかし、リモートワーク中心に仕事ができるものは通勤することなく悠々と家で家族との時間を満喫している。
そうなると必然的に生まれてくる持て余した時間は何かの工夫や創作にあてることになる。
例えば、家庭菜園や工作、You Tube、子どもとの触れ合い、という具合にできることは無数にある。
そしてその途上を動画やブログにアップして広告収入に結びつけることも可能だろう。
時間と金があれば。
つまりすべてはその「ゆとり」に集約されているといっていい。
毎日毎日コロナ禍でも通勤して仕事をして同じ時間を働くにも関わらず、収入は覚束ないどころかマイナスになる可能性さえあるなかにおいて、
物理的な時間も、心の余暇もそんなものは一切ないのだと気付かされる。
ひたすら当日の感染者数にビビりながら明日を憂う、こんな腐った心境では生活が不安定になって創作などできるはずもない。
第一、都心のくそ狭い賃貸では仕事と寝るだけの連続で、趣味も何も持てたものではないのだ。
つまり富むものは新たな収益を生み出す時間と原資がある者(総合的に心の余裕がある)であり、目の前の銭をアテにあくせくしている者は勉強や情報収集の時間(抜け出す方法)さえなく永遠に負のスパイラル陥るだけだろう。
原資の出どころはたいがい(私の周りの場合は)親類などのパトロンがいて、それなりのバックアップがあるのだ。
その後方支援をされながらリモートワークできちんと固定給が支払われ、余った(サボった)時間を副次的な収益に繋げられるという上策なゆとりは貧者にはありえない話である。
これは当人の努力とは無関係にある継承した環境だ。
まぁこんなことを書き連ねてる時点で心を病んでいるのだろうが、自分はもう都心にいたくないのだろう。
ただ、継いだ店が自分をその場所に縛り付けてしまっている。
コロナ以前の試算であればまだ期待値は高かったものの、コロナ後になって一転
―むしろ負債の可能性さえあるのではないかと思うときがある。
私にはまだまだやるべきことがあるのに、この状況では一向に前に進めない状況であり、加えて実家の家族の状況などを鑑みると胃が痛くなることさえある。
なにせ金がない
病気を患っている
毒兄子供部屋おじさんがいる
超高齢者がいる
といった経済的に負の四拍子が揃っていてその糸がいつ切れるかもわからないのだ。
それに対して私はまだ結婚もできていない(相手とは7年もいるがなかなか金が貯まらない)
年齢的にも子どもという選択肢を取るべきだと分かっていても状況が好転しないことにはそれさえ難しい。
母体には年齢という縛りがあるから、そこにはコロナだろうが金欠だろうが待ったなしだ。
共々大卒で共働きしてるのになんで当たり前のように歩めないのか、本当に歯痒くなるときがある。
これでも随分と努力して結果を向上させてきたはずなのだが、、都会ではどれだけ頑張る必要があるのか終わりがないように思う。
飲食は120%リモートワークなどできない、加えてこれから先に加速化していく遠隔労働の風潮にどこまでやれるのかということだ。
オフィス街から人が去れば母数が減少しいずれ立ち行かなくなるのは必至だと考えている。
とはいえ放棄して外部の勤めに出たとしても今以上の年収を稼ぎ出せる自信はない。
というかそっちの道で行くなら最初からキャリアップを目指して自営などやっていないだろう。
いろんなことを浅く広くできるのが自営のスキルであり、一点特化のスキルはないからだ。
社会で求めれられるのはむしろ一点特化型のキャリアのほうだから、雑多な能力は相性が悪い。
それに今はコロナ禍でまともな就職先など確実にないと断言できる。
文字のごとく八方塞がりだ。
本来、高コストにはそれを大きく上回るだけの収入がなければ高コストをかける意味がない。
ハイリスクハイリターンならともかく、ハイリスクローリターンは辛すぎる。
それが出来ないならかくして都心生活は諦める、というよりもともといる理由が職場が近いということ以外になにもないから願い下げというべきか。
イベント・知人・買い物・商業施設・グルメ・ファッション・流行・セミナー
共々一切興味がなく、ただ仕事と家の往復だけで休みは引きこもっているだけだ。
趣味はアウトドア(車を保有できないので無理)と動物(ペット禁止物件)しかない。
だからここでは瞑想かこんなクソブログを書き散らすという極めて無駄なことしかできない。
郊外に引っ越しとなればまた金も飛ぶし、通勤の負担も増えるだろうが…
―都内に実家がありながらこんなヤドカリのように転々としてる者は地元で私くらいなものだろう。
みな、計画的に祖母の家や両親の家を二世帯にして慎ましくも悠々自適な生活をしているというのに。
まぁでもここまで書いてて少し気分が晴れてきたので、必ずこのスパイラルは抜けてやろうと思っている。
店も自分の手をくださずとも収益化できるビジネスモデルを模索、構築して、必ず地方で田舎暮らしをする。
悪いが都心などでは人心が腐敗するだけだ。
家賃は高いのに狭いし設備はクソ、シソの葉1枚育てるスペースもなくうさぎ一匹飼えない外でBBQなんてもってのほか、食材は高いし不味いし、動物として生きるのに制限がありすぎておかしくなってくるのだ。
ジムに行って肉体を鍛えても読書に耽って精神を統一しても、やはりこんな思いがふつふつと出てくるのは環境が悪いからとしか言いようがない。
おれは人間的な生活がしたいだけだ。
いや、絶対にする。
PS:ちなみにこの肥溜めのようなブログがようやく1万円の収益を生みました。
もっともPV数は役立ち系のちゃんと書いたものですが。
嬉しいです。ありがとうございます。
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