今日はブログを書く気になったからひとまず席についたけど、、最近は下書きのまま放置してたり削除している記事が割とある。
なんか、書いてるうちに鬱々としてきて内容もイマイチ、、なんてのはザラにあることかもしれないけど、要は中身が薄っぺらな気がするんですよね。
まぁそれでも備忘録的な観点でいえば内容なんてどうでもいい気がするんだけど。
noteに書いて下書き状態になっている内容に至っては重いし面倒くさいオーラ満載だから公開を躊躇している。
とはいえ、あれだけ面倒な内容を上から下まですべて読む人もなかなかいないだろうなと思う。
こっちのブログにあげるというのもありかな。
基本的にnoteは店のこと、こっちは個人的なこと、という風に使い分けしてたんだけど、最近はどっちにも個人的なことを書いてる気がする。
そういう意味では境なんてもうないのかもしれない。
それでも気になるのはnoteが店のHPと直結してるからだろう。
リンクを削除するのは簡単なんだけど、、それもそれでなぁというグダグダ感が。
内情を公開するのは勇気のいることかもしれないけど、最近の風潮ではそんなものはおかまいなしのほうがいいってこともある。
店が潰れそうなんで助けてください、的なpolcaも見たことあるし、内容はどうあれ発信したほうがメリットが大きい気もする。
日本人の風習としては”弱みは見せるのは恥さらし”的な観念もあるのだろうけど、僕に限ってはとうの昔にそんなものは捨てている。
- 恥を晒すことを恥だと思うな
- 弱くていい、できなくていい、失敗していい
- 叩いてくる人は気にしない、逃げる
この3つの信条は生きづらさを緩和させるのに役立つ思考の方程式といってもいい。
それにしても土曜は忙しかった。
というか最近は特にそうだけど、良いことではあるんだよな。
しかし、やはりどこまでいっても労働は削減したいなと思うのが本音だろう。
雇用されること、自営すること。
この2つから学んだ共通点は『労働には何かを期待させる』という病があるということ。まぁ毎日毎日やってれば辛いから期待せずにはいられんでしょう。
しかし、労働は労働でしかなく、そこに何かを見出すというのは虚妄であることを知った。
むしろそれが文字数
— ありーゔぇでるち@ネオニート (@quartet1115) 2018年11月11日
まぁはっきり言ってしまうと物理的な仕事に限界を見てしまったってことになる。
前にも書いたかもしれないけど飲食店は倍々ゲームのようなもので、売上は漏れなく忙しさに比例するから、売れれば売れるほど負荷がかかる。
問題はその負荷と対価が見合っているのかどうかということだけど、おそらく飲食店はこれが見合っていないから辛い職業にカテゴライズされるんだろう。
それも正直に真っ当にやってればやっているほどその傾向がある。
この国のビジネスはだいたいが
〜そうなもの、で出来ている。美味しそうなもの
高そうなもの
オシャレそうなもの
できそうなオーラそこに『本物』という価値観はあまり必要なくて、らしければ何でもいいのだろう。
そりゃプロモーションと資本だけでどうにでもなってしまうわな。
— ありーゔぇでるち@ネオニート (@quartet1115) 2018年11月11日
このツイートはまさにそういう気分になったからだけど、うちの店の地域ではカレーグランプリなるものがある。
まぁ簡単にいうと予選で選ばれた数十店舗が優勝を競うというイベントなんだけど。
こいつがなかなか狡いイベントでねw
うちも最初の三回くらいは出たけどそれ以降は参加せず、名店の数々も早々に出場しなくなったという今やよくらからん祭り事なんです。
店をやっている僕の口から言うのもアレなので、、下の方のブログがとても参考になります。
結局は大手の資本にひれ伏した店が勝つということ。
それは美味しいから一番、という趣旨から外れてどれだけ貢いだか、という出来レースになってくる。
まぁうちや他の老舗も魂までは売りたくないということなのでしょう。それを続けていたら名店が一切出場しないカレーグランプリが完成していったわけです。
こういうので一番甘い汁を吸ってるのは地域の振興協会と協賛している各大手企業だけでしょう。
飲食店ってのはまぁ切ない。
なぜなら実際に手を動かして料理や味を生み出している現場の努力よりも、それらを評価するプラットフォームや評論家といったおまとめ役が少ない労力で多くの利益を手にするからだ。
頼んでもいないのに勝手に評価する食べ◯グとか、偉そうなカレーブロガーとか、参加費ぼったくるイベント仕掛け人とか、店を買収する大手メーカーとか、そういった人たちのほうが断然美味しいんです。
でも、、ひとつだけ言わせてほしい。
そもそも数々の店がなかったらこのおまとめ役さんたちの出る幕はないわけで・・・
家賃払って集客して継続してるのはあくまですべて自己責任といわれる中で取り組んだ店側なんだよな。
それを食いもんにして生業にするとはさすが資本主義だなと思う。
でも飲食店の人たちはそういったことに対してもっぱら何の関心もないようだ。
この業界もなかなかに頭が固いというかローカル手法というか、我関せず的なところがあって、業界全体が不利益になることについては、まとまって声をあげるべきだと思うんだけどそういうことはしないんだよな。
だからおまとめ役さんたちに好き放題やられてしまうんだろう。
ちなみに僕は隣の店とか他の店をライバル店とさえ思っていない。というか競争なんてするつもりもなく、お客という市場が判断してくれればそれでいい。
それこそ料理の味なんて千差万別で、どれだけ美味いって思ってもそれを美味しくないという人は必ずいるから、評価や競うカテゴリーに当てはめるだけ無駄なんだよな。
そんなことに時間を割くならオリジナリティの追求をしたほうがよっぽど生産性がある気がする。
話はそれたけど、結局そういったインチキを続けているとどうなるのか。
店は我関せずでイベントは中身がスカスカになっていき、、多分地域の行事としても長くないでしょう。
今は資本とプロモで集客できてもゆくゆくは飽きられて衰退していくのも時間の問題です。
だって最初から勝者が決まっているのですから。
で、こういうのも結局は資本主義が行き過ぎた結果であって、物事のすべては金の多寡に集約されると絶対にこうなる運命にある。
今更?!って感じですが、これらを140文字にまとめるとさっきのようなツイートになるわけですw
ここからは、、働くことがすこぶる嫌いでどうしょうもない僕の見解を書いていこうと思う。
とりあえず飲食店はあまり長くやるような仕事ではない。
その理由は大きく分けると3つある。
休む暇がないと単純に鬱になるし体を壊す。あと慣れてしまうと単調な作業だから目に見えて頭の回転が悪くなっていく気がする。常に家賃に追われてる気がするから休めない。
これはうちの場合だけかもしれないけど、めちゃめちゃ売り上げても経費引くと何か悲しくなる。というか割りに合ってないよってなる。
まぁ少子化というか人口のパイが減れば必然的に店に来るお客の母数が減るし、それに合わせて賃料を下げてくれるとは思えない。
ということからワンオペとかさせられるんだろうな。
じゃないと本当に利益なんか出せないんだと思う。
だからといって永遠にハマってるわけにはいかない。とりあえず代替わりして稼ぐだけ稼いだら地方に隠居する的な手法を取ろうと考えている。
おそらくだけど、店の建物自体もその頃には改修を迫られるくらい老朽化してるに違いないし、そこからまた1000万出してどこかでテナント借りてリスタートなんて選択肢はまずありえない。
親には申し訳ないが、もう世代が違うし同じ生き方を踏襲して逃げ切れるほど今後の日本経済に兆しはないだろう。
うちの親はそりゃあもう社畜を軽く凌駕するくらい働いてた。
365日、週6で毎日15時間、有給も公休も連休もない世界でさ。
それ自体は尊敬してるけど、問題は働きすぎた分お金を使いすぎた。
外車、海外旅行、マイホーム、学費、今考えると昭和のレジェンドだと思うよ。
しかしそのせいで老後の貯蓄はほとんどない、、だから今も働かざるを得ないわけで…それを見てると申し訳なさと切なさを感じる。
病に倒れる前に、もう少しお金の知識があればな。
まぁ使わなきゃやってられなかったんだろうという想像はつくのだけど、とにかく僕はそのやり方は真似できないということ。
100万稼いで80万使うことは30万稼いで10万使うのと一緒のような気がして、大には大を維持するなりの出費がかかる。
それならすべてをミニマム化していくほうがよりストレスフリーで生きていける気がするからだ。
あいにく昔の人が欲しがるものは欲しくないし、雨風しのげるなら小屋でも古民家でも何でも良いと思っている。
そんなことよりも多くのストレスや荷物を抱えて生きていくほうが断然苦手だという性分なんだろう。
世間や誰かがなんと言ってもそればかりは仕方のないことだ。
まぁ先々のことは考えても考えてもきりがないけど、ひとまずこのブログで宣言したという事実だけ残しておきたい。
これを見るたびに、我道を思い出すように。
おれは長らく飲食業にとどまる気はない!!!
以上
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