他力本願で成り立つほど人生は甘くない -ザ・ノンフィクション-の感想



2022年の初頭から、ノンフィクションの神回が連発されている。

結婚したい彼女の場合 ~コロナ禍の婚活漂流記~

#ザ・ノンフィクション #ミ○ミさん

 

山奥ニートの結婚 ~一緒に赤ちゃん育てませんか~

#ザ・ノンフィクション #山奥も○こ

前者の婚活の回は、まぁ個人的な問題だしそういう性格の持ち主もいるよねってことで、少なくともそこ止まりの話である。

もちろん婚活サイト側の人たち(運営側・登録側)の苦労は計り知れないが、自分で働いたお金を婚活サイトに課金すること自体はふつうであるし、運営側もそれをビジネスとしてるのだから、たまにアクが強い求婚者が現れてもそれは仕方のないことだろう。

しかし山奥の回はケタが違った。

大前提としてテレビ側は「非労働者・非消費者には冷酷」

スポンサーありきの番組構成ならなおさら、みんな消費せず不労でOKですよなんてことは絶対に言えないのである。

僕自身も何度か取材を受けているが、なかには嘲笑や煽りが含まれる番組もあってそれは見極めが大事だとしか言えない。

案の定、今回の山奥もそんな冷徹な叩きがあるわけだが、100歩譲って偏向編集が行われていたとしても到底、筋が通る話とは思えなかった。

そんな主人公の動向を簡単に書いていくと以下のようになる。


山奥も○こさんの場合

働くのが苦、人付き合いが苦
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山奥の共生舎に来る
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懇意の男性と結ばれ結婚&妊娠
⬇️
子どもの名前に近所の親しい中岡さんの名前の一部を拝借
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中岡さん困惑、不安になり泣く
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旦那はもう少し医療機関がある下へ引っ越そうと言う
⬇️
も○こは共生舎のみんなで育てたいと言う
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育児に関して「暇な人が10人いるから誰かがやる」「旦那が買い物に行ったら私1人では面倒みれない」
⬇️
養育費は赤ちゃんの顔付きでネットに公開し、クラファンの投げ銭に頼る

この流れの中でまず最初に確認しなければならないことは、そもそも共生舎とは何らかの原因で社会生活に病んでしまった人々が無理をせず共同生活をするということだろう。

もうこれで完結している組織と言っていい。

その代表モデルがあるとすればphaさんがやっていたシェアハウスだろう。

個人的にあれは初志貫徹してると思う。

しかし、今回はここに異性が入り色恋沙汰になるだけならまだしも、結ばれて出産をするという望まない社会生活に踏み切ってしまうわけだ。

共同生活において正に超えてはならない一線を超えたと言っていい。

他の人たちは表面では言えないだけで、率直な感想としては「何で現実をここに持ってきたの」ということだろう。

実際、多くの人たちは収入を得るために日々の労働に耐え、ローンを背負いながら住まいを構え、大変ながらも子育てをしているというのが今日の日本の現状だ。

しかもそれは一昔前まで当たり前とされていたのが嘘であると感じさせるほどに、今はあらゆる面でハードルの高いものとなっている。

そういった時代の空気のなかで、義務を放棄し権利だけを主張するというのは格好の非難の対象になるのだ。

テレビ側もそういったマジョリティの嫉妬心を煽ることに長けているから、今回は当然のごとく非難の嵐が生まれたのだと思う。

これは人間における普遍的な事実だが、人は自分が苦労して得たものを他人が楽しながら得ることに対して寛容にはなれない。

つまりふつうに働いて子育てしてる人からすれば、他人のリソースを使い倒して「親」になろうとする人は許せないのである。

まぁ僕もそれには概ね同調する。


起業や開業でクラファンならまだしも己の産んだ子の養育費とは…「働けよ」ということ以外にない。

実際、今はコロナの影響もあって失業や倒産が本当に多く、自分の足元さえ見えない状況下の人々が大勢いるのに、なんで他人のリソースでチートしてるのって思うわけだ。

一部ではテレビの悪意による偏向だという人もいるけれど、僕はあるシーンを見てそれが事実であることに気づいた。

それは主人公が中岡さんの名前の一部を拝借し、子どもに命名したことを嬉しそうに話すシーンだ。

主人公の心理としては懇意の関係にあった中岡さんの名前を借りることは「当然の喜び」であった。

しかしどうだろう、実母でもない半ばテイカーのような人に名前の一部を使われるどころか、その後の世話も手伝わなければいけない雰囲気を出されるのだ。

善として行ったであろう軽率な行為は真逆であり、その思慮の甘さが後に中岡さんの涙に繋がることになる。

中岡さんはあの歳において、オブラートに包んだコミュ力高い表現を用いたが、ストレートに言えば「そういうことを平然と行う人の末路が心配でならない」ということだろう。

つまり私だからよかったけど、、なのである。

仲人をさせて名前の一部まで拝借されるというのは、親(世話人)になることを暗に示唆されているも同義である。

中岡さんは立派な他人であり人の親だ。


また、子どもが生まれる前の段階から他力本願なパワーワードが後をたたないのはなぜだろうか。

周りが育てる、私一人ではできない、漫画書くから養育費

さすがにこれは無理ゲーである。

せめて山から下った場所に家族世帯の住居を借りて、ふつうに働きながら生活していくべきだと思う。

こんなことがまかり通るなら苦渋を飲みながら生計を立ててる人はどうなるのか、これは「やったもん勝ち」で済む話ではないだろう。

最近は何でもいいから目立つ≒フォロワー稼ぎという下賤の乞食経済が存在するが、そういった認知の歪みが迷惑系ユーチューバーや悪質な信者ビジネスを生んでることを理解したほうがいいように思う。

総じて認識が甘いとしか言えない。

人間の恒久的なものとして

「人は一人では生きていけない」しかし「逃げた先でまたも煩わしい人間関係を再構築するのが人間」

これはもう本質的な部分であり永遠のアンチテーゼなのかもしれないな。

それを具現化したのが今回のノンフィクションのような気がした。

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新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在は都内で飲食店やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ