考える時間



最近、ブログやTwitterを更新する暇があまりない。

Twitterの住人の中では就職するとTLから消えるという噂があるけど、半分そっちに足を突っ込みかけてるのではないかと思う。

ただ、久々だ。

こうやって自由に文章を書けるというのは、忙しい中でこそ本当に価値の在ることだと気づけるものだ。誰が読んでくれているかはわからないけど、たとえ誰も読まなくたって良い。

思ってみれば、ネット最盛期を生きている僕らにとっては、こうして誰でも発言ができるということ自体恵まれているのだと思う。

お酒を煽って、今日も滅裂なことを書く。

僕は最近というか、労働に従事したときの心理状態というのが気にかかる。

誰でも目の前の山積みになった仕事を終らせることに四苦八苦してる姿は想像に難くない。

しかし、実際に毎日そういった稼働の中であくせくしてると、焦点が狭まってくるものだ。本来は、(まったくそういった知見もないけれど)漠然と世の中を広域で見ていたいというのが軸にある。

それは”ナニ”というわけでもなく、様々な事象に触れて広い範囲を少しづつ知ったような気になること。

知ったかぶりの情報をデタラメに拡散するのは問題だけど、自分の中に照らし合わせる材料としてそっと保存しておいても迷惑ではなかろう。

忙しくなると、ただただフラットに保つということがかなり難しい。



僕もニートをたっぷり経験してきた人間だ。だから、働かなくて何が悪いの?って再三思ってた。でも、人間というのは実に都合が良くて、自分がいざ働く立場になると、”働いていない人”をどうにか理由をこじつけて責めたくなるのだ。

しかしこれは断固として価値観の押しつけだと言い切りたい。

もちろん僕にもそういった都合のいい変化はあると思うのだけど、だからといって無職というだけのことを忌み嫌うようなマジョリティにはならないつもりだ。

人はいつ自分がそういった立場になるかは分からないし、誰にでもそういった転機はある。それは無条件に理解すべき。

ただ、頭で理解しててもそういったことを素直に受け入れることは、未熟な精神では厳しかったりする。だから、自分は自分軸、人は人の軸と割り切ることが本当に大事だと考えている。

まぁ、これは酔った自分への戒めの意味で書いてるのかもしれないけど。

一つ目は、そういった自分の働いてる立場を利用して、他者を批判的な目で見がちになってしまうジレンマだ。ただ、これはスペックの低い自分に原因があると思っているので、解決はできるはず。

そして、二つ目のジレンマは一番厄介かもしれない。

今僕は両親のカレー屋でサポート的な業務をしているけども、、まず最初に断っておきたいのは自分で選択したことだから、ふつうであれば文句や憂いを言うべきではないということ。

しかし、そう都合良くもいかないからブログに吐き出すことにしている。

もともと会社員を何年かやってて気づいたことは、完全に社会不適合な自分だ。というより、もはや需要がないと言っていい。

自分で何かを立ち上げても、所詮は中途半端な覚悟のない遊びで終わる。雇われない、自分の力もない、何のスキルもない。これは完全に需要のない人間なのだろうと悟ってしまった。

ただ息をしている人生に絶望していたさなか、父親が倒れてその隙間に入ったのがハイエナのような今の僕だ。確かにバックグラウンドで店のことをやっていたのは自分だし、急遽立つことになってもさほど戸惑いはしなかった。

ただ、物理系(肉体労働系)の処理はなかなか苦手だ。

同じ”作業”でも繰り返し行う反復行動は特に。また、ニート期間に培った(失った?)毎日同じ時間に同じ場所に行くということがどうも億劫になる。

正直にいえばPC一つでどこでも仕事のできるフリーランスという神業に憧れている。

まぁ、、物理的な商売人からすれば”死ね”の一言だろうが。

でも僕が思うのは、本来であれば考えることが最も大切で厄介なことだと思っている。ヘンリー・フォードのこの言葉がなんとなく好きだ。

考えることは最も過酷な仕事だ。だからそれをやろうとする人がこんなにも少ないのだ。

Thinking is the hardest work there is, which is probably the reason why so few engage in it.

もちろん考えてもこんな能力はないけど。

飲食店は拘束時間が長く待受するタイプの仕事で、天候やカレンダーに左右されやすい。また、地域環境のしがらみも多く、他店との競合もある。

いくら統計をとっても予測できないことが起こるというのは、遠足の前日の天気が不安定で寝れないのと一緒で若干のストレスを伴う。



本当は気分でその日に開けたり閉めたりしたいと思ったりもするけど、それは流石にできない店になってしまってる。

そうなると週6営業に追われて、広域の世の中というものを知る機会がぐっと減ってしまうのではないか。実際毎日働いてると、”余裕”というものがなくなってしまって、つまらないことにいちいち腹を立てることが増えたような気がする。

考える時間、、それは他者から見ればなんの意味もないことかもしれないけど、自分では大きな比重があるということなんだろう。

だいたいは大きな一つのことに従事していれば生活はなんなくできるのに、あえて何のメリットもないような広域の世の中とやらを見たいというのは変人極まりない。人は報酬があることをふつうにする生き物だからだ。

まぁカレー屋である限り、そっちの道はしっかりやりたいと思う反面、、このままではいけないとはやる気持ちが同居している。

昔とは違って、売上も落ちてる店だし人件費さえほぼでないということは、そもそも存続すべきか、やるべきか、おれに売上を上げる能力があるのか、失敗したらその時はキツイな、等々恐怖が巡ってしまっている。

ほぼ毎日働いて、報酬がなければそれはもはやボランティアであり、事業としては手を引くときであって、心意気などで続けられるかというとそれはまた違うものだ。

経費だけで月60万近くかかる店の責任を負えるのか、しかし組織に戻ることは今や不可能。そういった葛藤の中で日々生きていることが少々傷んだりする。

で、、いつもながら思うのは人口が減って、不動産の価値は据え置きで、みたいな社会は無理ゲーなのではないかということだ。



日本は非常に深刻で厳しい状況を迎えてると思う。もはや東南アジアの中でダントツに遅れをとっている。技術はあるものの、価値観、労働環境、人口比率、どれをとっても『今更こんな考え方してたら終わるよ?』っていうことがたくさんある。

だとしてもそれは今の現状を変えるきっかけにはならないし言い訳なのだ。いっそのこと海外に出てしまえばという考えもなくもないが、到底僕のような小物にはできないだろう。

いや、、とはいえ考えることは辞めたくない。

これは堂々巡りだなー(笑)

欲の生き物なだけあって、一つなにか進むとまた愚痴が出てきて、、その先を望みたがるけど実際にそんな桃源郷はないんだよな。

ただ、人生は自分基準で楽しまなきゃ損だ。常に考えて動こうとする意志は大事にしていきたいな。たとえそれがどんな立場にあっても。

こういったブログでも、書くまでにぼーっとしてる時間が5時間くらい必要だった。それくらいフラットに戻るのは時間がかかるってことかもしれない。調子が悪ければ一日二日かかるかも。

なんだんだろうなーこのメモリが8から4に減らされる感じ。毎日働くとこうなるもんなのか。

あーーーー

よくわからんこと。

そう、いつもそうなんだ。

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ABOUTこの記事をかいた人

新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在は都内で飲食店やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ