生きることが精一杯になるけどそれじゃ先は見えない



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こんばんは。

今日は休日ということもあって街をぶらり、本屋をぶらり。

2017年ももうそろそろ終わりを迎えて新年度になるわけだけど、忘年することは山積みであり、そして来年の動向も考える必要がある。

自分の常識を他人に押し付けてはいけない

とりあえず間借りで始めたお店は、残念ながら軌道に乗る兆候はあまりない。そこでどうしてなんだろうと考えると問題は結構あるものの自分ではどうしょうもないことが多い。

人間はいつもハッピーや元気といった表面上を評価することがあると思うけど、日本はその圧が強すぎると感じている。確かに自分で始めた店だ。でも常に元気(表面上)でいることは無理だしそうしたくない。

はっきり言えば実力で勝負する店はつくり手が元気か鬱なのかなんてどうでもいい。要はしっかりと納得のできるものを相手に提供すればいいんじゃないかと思っている。

だからネガティブ(ポジティブ)なTweetもするし、やる気のない言葉をバンバン吐き散らしている。



それは自分に忠実であることが、自分の気持ちに素直になれる環境こそが良い物を作る最低条件だからだ。

他人に「もっとこうしろ」「それは非常識だ」と言われるとただやる気が失せてしまう。

僕は僭越ながら「~だから~が当然」という常識を破壊したいのかもしれない。それはすなわち飲食店だけでなく何であっても、目に見えない妙なやる気などといった不確実なものを無理に出すことはないということ。

出そうが出すまいが結果にあまり影響しないこともよく知っている。逆にやる気と精神論に走ったから日本は戦争を始めて、気合によって負けたと言っても良い。

何より自分としては味に絶対の自信を持っているし、惜しみなく時間と手間をかけている。それは手を抜かないことだけが唯一の仕事だからだ。表面上の作り笑顔を増やしても手を抜けばそんなものに価値はないし、接客はあくまでふつうでいいと思う。

とはいえこうは言っても売上がたたない以上、世間から見ればただの戯言になってしまうというのが辛い。さらには本格的なものを作っていても設備や内装のせいでそれがオープンに出来ない歯がゆさは半端じゃないストレスだったりする。


迷子になりながら決めたことは迷走する

ではなぜ始めたのか、そんなことを少し考えながら今日は歩いていた。

多分、本当は飲食店はやりたくないんだろうなというのが少したって出た答えだ。不毛な話だけど、飲食店は効率的ではない。お客を待つというスタンスは不確定要素が多すぎる。いや、もっと言えばナマモノという扱いにくい商材を期間内に捌かなければマイナスになってしまうということだ。

本格的な美味しいものを食べてほしいというのは紛れもない事実だけど、反面ビジネスとして考えた場合は上記のような懸念がつきまとう。



思えば仕事を辞めてwebデザインの職業訓練に通っていたのは、今の飲食店の前身である通販型事業をやろうと思ったことがきっかけだった。確かにその後通販サイトを立ち上げたのは良いが、どこか心のなかで商材がwebサイトなどIT関係であれば賞味期限も何もないんだなぁということを思ってしまった。

あの時もう一度IT系企業に就職して、もう少し精通するレベルまでやっておいけばという後悔もなくはない。おそらく料理に続く好きなことだったに違いないからだ。とはいえ僕は今までの経緯から企業というものを信用していない。

それに欲しい能力≒就ける仕事(職種)とは限らない。例えば一重にwebといってもフロントエンジニアやサーバーサイドエンジニア、アプリ開発など多岐に渡る。

恐らく年齢と経歴からすれば程遠いインフラ系しか受からないのではないかと考えていたし、実際就活エージェントにも同じようなことをサラッと告げられた。前者はある程度若いか経験が求められる。

でもおそらくほぼ9割が就職するという世の中でその道から外れるのは想像以上に厳しい。だから皆安定の道を選択するのだけれど…

僕も実際この日々の不安感と戦うくらいならいっそのこと就職したほうが良いのではないかと何度も思った。

でもそれは自分に敗北感しか与えないことをよく知っている。かなり厳しい茨の道を歩んだにも関わらず、その日の目を見れないというのは空虚もいいところだ。


頭の活性化はかなり重要

飲食、特に今の間借りしているところは設備の関係で通常の3倍(シャアの逆ね…)疲れる構造になっている。

ハンターハンターでいうところの強化系じゃないのに強化系能力をフルに発揮しなければならず、他に考える思考を奪われてしまうのだ。そうなるとただただこなす毎日になってしまうので、暇な時は必ず本を読む。

特に人間は日中の脳が一番活性化されるため、まだ体力を使い切らないうちに読むのがベストだ。

特に最近30を迎えたこともあるが、脳がたるんできて記憶力も落ちてきているのではないかと危惧している。まぁ親父が同じく飲食業で若年性健忘症?というものにかかっているらしく、確かに物忘れが尋常じゃなくなってきているというのもある。

人は毎日同じことを繰り返して脈絡や刺激がなくなると、ルーティンは体が覚えていても他のものがインプットできなくなる。特に他人と会話しないというのが一番まずいらしい。

興味がある本をとりあえず読み漁る

頭がおかしいのかもしれないけど、僕は仕事を始めた直後から、また別の仕事や生き方を模索するという遍歴がある。もちろんその場の仕事は確実に手を抜かずやるのだが。



今日は週1日しかない貴重な休みだったから早速本屋に足を運んだ。

3つの本屋を巡って、パッと目があったのはこの本。

家入一真さんは確かレンタルサーバーのロリポップ創業者で実業家なんだけど、思想がニート出身であるphaさんとも似ている。自分の中ではホリエモン>家入さん>phaさんの順で、左から右にかけて自己主張・型破り・ビジネス性が優しくなってくるといったところだ。

因みにホリエモンは嫌いではないけど、やや上昇志向とビジネス性が強く、弱者側の立場はあまり考えていないのでとっつきにくい。反対にphaさんはかなりゆるく、そして優しくビジネス(生き方)について考えていて、大きな違いは弱者側の立場を理解している(全部ではないが)ことだ。




家入さんの本はその中間点ということになるのだろうか。まぁこれは明日からのツマミにするので直に分かることだと思う。

冒頭で出て来るクラウドファンディングについては、当初利用したいと思ったが、実際どのようなコンセプトでアウトプットしていいかが具体化できなかった。今勤めているビルのオーナーに「あれは友人や知り合いが多くないとできない」と言われたのもあるけど、実際のところどうなんだろか。

因みに僕は人と関わるのが得意な方ではないので友達や知り合いはごく僅かである。浮き沈みが激しいのと気分屋なのが相まって、何なんだこいつと思われてしまうことが多々ある。そして考え方も核の部分以外はしょっちゅう変わるので、適当な奴だと思われやすいのかもしれない。

でももしクラウドファンディングを利用して、共感した人々がパトロンになってくれるのであれば、やる価値はあるのではないかと考えている。

今年はこんなことを書きながら終えていく

何だかんだで生きにくい世の中になっているのは間違いないんだろう。

ギスギスしているというか逼迫しているというか、とにかく余裕がない人が多くなった気がする。まぁ挙げたらキリがないけど自分のストレスを外部の人間に当たり散らす光景を多々見る。



この間ふとお客さんが「東京は仕事する場所じゃない、僕の会社でも7割が鬱で…地方移住したら体調や動体視力が明らかに改善された」というような会話をしていた。

確かにそうだ。

たまたまだとしても世界的に7割鬱を患う職場が存在するのだろうか。。これは単純に異常な事態だというのに、この国では平然と一億総活躍などど見当違いなことを言っている。

未婚が増え、子どもが減少し、労働力が減り、税収が減り、年金は破綻し、この構図が予測できるにも関わらず、そういった見たくない現実には焦点さえ当てない。

ハッピーな話題を流し続ければ、さもそれが今の日本の全体を包括する活力であるかのごとく繕っている。しかし実際はnhkのノンフィクションのような戦慄が走る暮らしに疲れ切っている人々も多いと思う。

これは産業時代の崩壊と情報社会の幕開けを意味していると、何かの本で読んだことがあるが、正に情報がモノをいうような時代が加速している。

今後どうなるかは分からないけど、結局は生きていかなければならないのであれば、常に生き方や環境を模索するという習慣は大事になってくると思う。

少なくともふつうレールから外れてしまった僕にとってはそれが来年の課題となるに違いない。

あぁ、久々に長く書いたせいか腰が悲鳴をあげてきた。いつになく、わけの分からん内容になってしまったけどまぁいっか。

今年も一年お疲れ様でした。そしていろいろとありがとうございます。

どうかお体をご自愛ください。それでは。

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ABOUTこの記事をかいた人

新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在は都内で飲食店やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ