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2018年明けましておめでとうございます。
今日はこれもアップデートが必要だなぁと思ったことについて考えを書いていこうと思います。
風呂に入りながら田中輝美さんの『関係人口をつくる』という本を読んでてそこから漠然と派生した内容になる。直接的ではないけど間接的には関係してくることじゃないのかなぁと。
最初に断っておきたいのは、結婚しようがしまいがそれは本人の自由意志によるところで、別にそれを押し付けるような意図はないということ。ただ少し変わった立場でいる僕の現状から、同じ立場の境地を書けたらと思う。
アップデートされるべき結婚像
まずはざっと自分自身について書きたいと思う。
これはプロフと重複する内容かもしれないけど、一言でいえば社会不適合者。例えば僕は大学新卒で会社に入り、ついでに結婚もしたけど半年で会社を辞めて、転職した先が入社後1年で倒産。
心機一転と思い、東京から離れて神戸で2年間生活するも1年目で前妻とは離婚し1年は自堕落な生活していた。そして2014年の夏に東京に戻り、1年半ひきこもる。
何を思ったかひきこもりながらとりあえず本を読みまくった。特にビジネス系とか自己啓発とか。またそういった集まりやセミナーにも行ったりした。
結果的にそれは全然自分と関係の無いことであると思い、そこにいる人たちとは関わることはないけど、今となればそれはそれで少し役に立った気もする。
2016年の夏に東京の離れ、町田で両親の店の商品を通販化して事業を開始したが失敗(継続中ではあるが)浅草に移転して今に至る。現在は飲食店兼ECショップをやっているが、基本的に赤字。
短くまとめるつもりが結構長ったらしくなってしまった。
で、これでいうところの『離婚』は単純に僕が会社組織に馴染めないで『決められた水準』のおカネが稼げないことが原因となり、要は正規で働くという日本のレールから転落したということにある。
こんなことをしばしば聞く。
- 正社員でなければ安定した生活が送れない
- 非正規とは結婚したくない
- お金がなければ何もできない
- 子どもには金がどれだけかかるか
- 非正規では家や車を買うローンが組めない
だから正社員なんだよジョジョォォ~w
まぁ離婚の原因はもちろんこれに限らずいろんな理由が複雑に絡み合って起こるものだが、若年層でいえば経済的な理由が主であり、これは結婚率にも共通していえる。
要は結婚とは本来の趣旨以前に『安定』と『おカネ』が絶対的なものらしい。
だけどもこの理屈で行くと正規雇用以上の肩書がない人はもれなく結婚対象外となるということだ。
しかし最近では働き方や生き方に対して、少しづつではあるものの、世の中の目は寛容、多様性のあるものに変化してきているのに対して、結婚という制度だけは未だにバブル脳を抜け出せず高い壁の上にそびえたっている。
既婚者(男性側)に聞いても結婚は墓場とか、地獄とか、覚悟とか、そんなようなことばかりである以上、決してゆるくないことが分かる。
中にはお金がなくても気持ち以上の愛情や協力によって頑張っている夫婦が存在していることは承知しているんだけど…それでは長い共同生活に疲れ果ててしまうのではないかと思う。
結婚=で連想される言葉を出すと分かり易いかもしれない。
- 挙式費用
- 家
- 車
- 子ども
- 養育費
- 教育費
まぁ子どもがいるいないでこの費用もだいぶ変わるとは思うけど、とりあえず若者世代が結婚しない理由が費用というところでみてとれる。
家入氏の本「なめらかなお金がめぐる社会」では、今の若者はお金のその先に価値を見出しているという内容が書いてあったが、物質的に豊かになった今、カネの多寡ではなく、『人間が生きること』自体にフォーカスをあてているということだろう。
だから昔の盛大で派手にコストのかかる『結婚』という目標は手段に変わり、絶対ではなく選択肢の一つとして存在しているに過ぎない。
これは創られた『結婚像』が消費社会を象徴しているからだと思う。残念ながら今の若者に大量消費を促しても効き目があるのはごく一部の人だけだし望まれていない。
でも一番言いたいのは上に挙げた費用一覧、これって本当に100%必要なことなのかなーと。
動物学的にいえばオスとメスが生活を共にして子孫を残す(残さなくても)だけのことだ。なのに既存のレールはコスパ悪すぎじゃないかー?w
じゃあなぜそんな高い壁があるのかといえば、もともと教育やマスコミや企業のプロパガンダがイメージとして創り上げた『結婚像』があるからだ。
そしてその水準が高度経済成長期以降アップデートされていないというのが最大の問題であり、僕たちは古い世代の慣習によって勝手にハードルを高くされているという感じじゃないだろうか。
絶対的な安定なんてこの世にない
特に都内に住んでると良く分かるんだけど、あれは何というか文字通り必死でしかない。
朝になればパパやママが急いぎながら自転車で我が子を幼稚園に送り、その後ぎゅうぎゅうの満員電車が待つホームへと消えていく。
パパは35年ローンの新築マイホームとマイカーの返済で必死に仕事、ママも専業主婦なんて言ってられない、共働きで子育てしなきゃ…二人の夫婦は時間が惜しくなり、便利なサービスを次々と導入するけどそれもやっぱりタイムイズマネーで、常に奔走することに…
お金さえ稼いでいれば楽になるどころか楽にさせるものによってお金は吸い上げられるばかり…仮にこれでパパが鬱病でも患えばローンはどうなるんだろう。子どもたちの養育費はどうなるんだろう。
金持ち父さんの本でいうところのラットレースというのはまさにこれのことじゃないだろうか。あれはアメリカ経済の最盛期で昇給前提の設定になってるけど、残念ながら今の日本でうなぎ上りに昇給することはあり得ない。むしろ失業か減給という可能性も大いにある、というのに。
別に既存のやり方を悪く言うつもりはないけど、これいつまで続けるの??っていうのが僕の本音で、特に非正規や僕みたいな半分ニートからすれば
めちゃめちゃいらないハードルです。
でも世間でいう『結婚』するっていうのはこういうことなんだろうなーと。
多様性を求めるのになぜか一つの選択肢しか認めない
因みに自分はよく0-100理論的なことを呟くときがある。白と黒でもいいんだけど、、なんでいつも世の中は0か100という考え方で、30とか50とか70っていう途中の数字は0に集約されがちなのだろうか。本来人生のバックグラウンドは多彩なグラデーションになっているのが当然なはずである。
例えば結婚相手が正規雇用だった場合の彼(彼女)の数値は100。
契約社員が70、派遣社員が60、自営業が50、フリーターが30、ニートが0
100の正規雇用以外の半端な数値はすべて0のような扱いになるので結局社会的には100しか許容されない。0から生み出される可能性も十分あるし、100だからといって人間性まで100とは限らないのにw
まぁこれはかなり極論でもちろん100%ではない。自営業でも非正規雇用でも認められる人はいる。
が、圧倒的にその率は少ないし、親世代が敷いた結婚定義はおおよそ100で初めて門が開くといったところだろうか。これは結婚でなくても成果主義を求められた際の途中経過が無視されるのとよく似ている。
しかし高度経済成長期に生きた人間と現代人の若者では価値観が離れすぎているから、理解し合えないのは当然であるし、僕からすれば江戸時代の人がスマホを操作してるくらいあり得ないジェネレーションギャップが生じてると思う。
もっといえば白黒テレビがカラーになるのはアプデ領域だけど、電卓がPCになるのはアプデじゃすまない、ということで要はハードごと取り換えなければ話がかみ合わない。
だから世代間で言い争っても仕方ないのだけれど、それならばいっそお互いの生きる異なる世界に口出ししないで欲しいと言うのが若者の叫びではないだろうか。
非正規・正規問わず誰もがゆるく異性関係をもてる時代に
先に結婚というのは既存の『結婚像』があるからハードルが高いという話はしたけど、実際のところはそんなの関係なしに人口減少と少子高齢化は加速している。
もはや役目の終わった人たちの体裁とか条件をぶつけ合うというのは火に油を注ぐようなものだ。異性関係こそ『ゆるく』あるべきだと思う。
自分の話になってしまうが、僕には生活を共にする彼女がいる。彼女は僕が開業するときも失敗して再起を図った今も、ずーっと金欠状態を耐え忍びそばにいる。本来今まで書いたようなレールをもとにすれば彼女はとうの昔に去っていただろう。
もちろんこれからもずーっといる保証はどこにもない。
ただひとつ言えることは、今後0-100のあいだの人間は今以上に増えていくと思う。
それはノマドワーカーやフリーランスや派遣も契約もフリーターもバンドマンも芸術家も含めて、仕事や生き方の多様化と同じく、異性の在り方もそれに合わせて変化する必要があるということだ。
それに雇用形態の違いで異性と離れる理由はどこにもないし、お金がなければ何もできないというのは、自らの発想力や工夫をカネで補おうとしたこと、企業のプロパガンダにうまく乗せられたに過ぎない。利便性を求めてそれらにお金を払い利用することにあまりにも慣れてしまったともいえる。
僕はもともとカネに必要以上の価値を求めることはない。なぜならもうそれは過ぎ去ってしまったことだし、カネですべてを補うことは脳に借金してるみたいになる。
足るを知れば案外どんな状況にいても工夫次第でそこそこ楽しめるのではないかと思う。
一般的なレールから外れた人のみに分かる感性
これは男女ともに経験ある人は多いと思う。
- ブラック企業から逃げたことがある
- 一生この満員電車に乗るのか
- なんでこんな毎日忙しいんだろう
- お金はいいからもう少し心のゆとりを持ちたい
- 働く価値を見出せない
こういった経験をしたことがある者同士は何となく波長が合ったりするし、その時の辛さが少しでも共有できるかもしれない。だからこそ既存のレール以外の道を全力で見つけて共有して欲しいと思う。
今日は思い付きでこんな記事を書いてしまったけど、ゆるい異性の在り方はこれからも模索していくつもりでいる。むしろこんな多様性があるのに一つの道だけを強制されるのはおかしいし、今の結婚像が時代にミスマッチしているというのは身をもって体験している最中だ。
あらゆることが0-100以外でもすんなり受け入れられる、そんな世界になってほしい。
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