モノに支配されない生き方をする



何で人は毎日あくせく働かなければいけないんだ?

そんな素朴な疑問を持ったのはブラック企業をリタイアした後だ。

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「モノ」を持つ、「一般的」を追う、「慣習」に従う

これってごく当たり前のことかもしれないけど、僕はどこか疑問を感じる。

本来人間が生きていくというシンプルな動物視点で見た場合、今のように溢れかえったモノをどれだけ必要とするのか。

またモノがその人のステータスになるような見方がこれからも続くのか。

最近実家の大掃除に駆りだされて、当時欲しかったものがどれだけリサイクル業者さんに出されたかわからない。

リサイクルといえど値打ちがないものは廃棄物となるため、今度はお金を払って引き取ってもらう。

お金を出して買う。
お金を払って捨てる。

お金を出すのは自分なんだなとつくづく感じた。

これだけ見るとバカとしか言いようがないけど、少なからず似たような思いをしたことがある人はいるはずだ。

人は誰しも当時欲しい物が、どのくらい先か分からないにせよガラクタになってしまうことを予想して買わないものだ。

僕達はみんな生まれた時から家庭にテレビがあって、外に出れば無数の広告を視界に入れてる。

情報化社会になった今、あらゆる媒体でこれまで以上に多くの物欲を無意識のうちに刷り込まれてるんだろうな、と思う。

いろいろ欲しい物を買ってはガラクタになってしまう。

そんな生き方をしていた僕がそれに気づいたのは26歳くらいの時だった。

そして最近読んだ『0円で生きる』を読了したことで、一層お金に対する依存度が深刻なものであることが分かった。

それまではほしい物を買うために働いているといってもいいくらいだったけど、気付いてからはモノというよりそれらを取り巻く世の中を一歩引いて見るようになった。

本当に生きる為に必要なのか、その辺りまで考えてモノを購入するようになったことで、以前よりも衝動買いはなくなり明らかに持つモノが減ったような気がする。

最終的には生活必需品のみというところまで、持って行きたいし、レンタルで済むものはなるべく活用する。

常に身軽でいることは、自分にかかる精神的な負荷を減らすことにつながるからだ。

それは何もモノだけでなく、居住地や車や人間関係にも当てはまる。

人は必然的に歳を取ればとるほどジャンルは問わず重荷を背負っていく。

その中で必要不可欠なものだけを選択するという能力は、今後ますます重要になっていくと考えてる。

モノを持つことは一般的を追う始まり

一般的を追うというのはかなり抽象的な言葉だけど、要はメディアやマスコミが創りだした世間一般のこととする。

例えば学校を卒業したら会社に就職して、結婚を期にマイホームを35年ローンで購入して自家用車も買って子ども乗せて、、という具合の。

しかし今はバブル期の80年代じゃない。短期間のうちにあらゆるものが飛躍的な進化を遂げたために、仕事量や処理量も当時より遥かに増した、いわば高負荷な社会だ。

一昔前でいわれる負荷とはまた質が違う。以前は負荷の分だけ見返りはあったが、現代は見返りなどほとんどない。にも関わらずやたら忙しさに追われたりするものだ。



一般的な理想としては忙しさに伴い全体が経済的に豊かになることなんだろうだけど、雇用や所得に関しては一向にうだつが上がらない。

僕は今後もこういった状況が続くと考えてるし、多忙に比例して経済が豊かになるといった世界は割りと悲惨だと思っている。人の忙しさに限界があるということは、電通の社員が自殺したことでも見て取れるだろう。

これらを踏まえていえば、今までの一般という概念はそもそも維持できなくなるし、それを追うこと自体がとても燃費が悪く現代とミスマッチしてるといえる。

このように30年近く前とはいろいろと状況が変わってしまった。であるなら思考もそれに合わせて更新していく必要があるだろう。今で言えば10年経てばそれだけで技術も思考も生活様式も変わるということだと思う。

モノ、一般的、これらを覆うようにある慣習

これは勝手な持論だけど、小学校で良くやった「前へならえ」というのは、先代がやってきたことをお手本に生きろという意味も含まれているんじゃないかと思っている。

先輩を見てならう。日本では当たり前に行われてることだけど、結局のところそれらの積み重ねが一般的という概念を作り出している。

今、僕達の前に倣う先輩はいるのか、そして倣ったからと言って同じような水準を同じような努力で実現できるだろうか。

もっといえば誰の人生なのか、ということを本気で考える時かもしれない。

欲のループに溺れない

僕の中では一つモノを減らすというだけでも、こういった様々な背景が絡んでくる。

高校の時からバイトして新車でバイクを購入したり、欲しいと思えばすぐに収入を増やして購入するといった、とにかく浪費癖が酷かった僕は一つのことに気づいた。

それは本当の欲求はお金では解決しないということだった。

もちろんそれは人それぞれかもしれないけど、僕はお金や仕事に追われる原因はそこにあると思っている。結局のところ物欲というのはメディアが煽る流行りによって刺激される部分が大きい。

モノを買って豊かになるという発想は既に時代遅れかもしれない。



そんなことに振り回されているといくらお金があっても足りないし、偽りの欲をショッピングという負のループに落とし込んでいるだけではないんだろうかと思う。

これからの時代を精神的に豊かに暮らしたいという願望があるなら、この『欲』についてはうまくコントロールして付き合わなければならない。

そんな夢のない話って思うかもしれないけど、一つにこういった考えがあるということで今回は書いてみた。

とはいえ物欲を抑えるだけでは豊かに生きるのは難しいと思うから、次回は僕が考えた豊かだと思える人生を書いてみようと思う。

お読み頂きありがとうございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

ありーゔぇでるち

新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在はインドカレー屋やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ