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こんにちは。
今日は異常過ぎる正社員信仰が息苦しくてどうしょうもない。なんでろう?ということを考察してみようと思う。もちろんこれは僕の個人的な考えであって、正社員をディスるのが目的ではない。
過剰な資本主義が過剰な正社員信仰を生む
日本が資本主義国家というのは言うまでもないんだけど、それによってどういった弊害が起きるのか考えてみる。
資本主義(しほんしゅぎ、英: capitalism)または資本制は、生産手段の私的所有および経済的な利潤追求行為を基礎とした経済体系である~続き
Wikipedia出典
一部抜粋してみたんだけど、この中でほぼすべてがこれに集約されているという一文がある。『経済的な利潤追求行為を基礎とした~』
僕たちは生まれたときからその教育下に置かれていて、否応なしに競い合う人生に晒されている。弱肉強食の動物界がそうであるように、人間もこれとまったく同じことをしているわけだ。
主義=継続的にもっている思想上の立場
教育課程でもそうだったように結局は誰もが頂点を目指すような枠組みに入門させられる。しかし当然ながら全員が目指したからといって全員がトップになれるはずがない。仮に資本を求めることにそれらを費やすならとりわけ少ない餌を奪い合うようなものだからだ。餌にありつけなければ当たり前に弱者という立場が生まれる。そして弱者が大半を占めているのが資本主義の現状だ。
フォーブスの長者番付でもあるように、この世の資本の半分は8人の資本家が持っている。これは企業も一緒で、M&Aや合併を繰り返すことで最終的にはすべてを持つ一社がこの世を席巻するのではないかと僕は思う。それがGoogleなのかMicrosoftなのかセブンイレブンなのかは分からないけど…でもこういったルールの中で生きる以上、底辺は搾取されるしか選択肢がない。
お金に対する教育のなさが、とりあえず働かなきゃパラダイムを生む
要するにお金が一番だよ~ってことなんだけど、基本的に日本人はお金の話に対して下品なイメージを抱く人が多い。でもそういったイメージとは裏腹に必死にお金を追い求めて毎朝起きて出勤する人が大半を占めている。下品なイメージを持ちながらも必死に稼ぐというのは、どうも変な話なんだけど、これも教育的な問題なんだよね。
確かに生きる上でお金は必要不可欠であって、人の欲求の中でも最上級に位置するものといっていい。なぜなら衣食住という当たり前を満たすためにはまず金がかかる。またこれと等しく三大欲求を満たすためにもこの当たり前は必要不可欠だ。雨ざらしの中でセックスして、雷がなる樹の下でご飯を食べて草原で寝る。こんなことは21世紀の日本において成し得ないだろうし、環境や法律がそれを許さない。だから人は働いて当たり前を得ようとする。
『じゃあお金は超絶大事じゃん!!』ってことになる。では生まれてこの方お金に対する教育を誰かがしてくれたかっていうと、ほとんどの人はないと答える。そりゃそもそもタブー的なカテゴリーなのだから、喜んで教えてくれるわけがないよね。ただそういったお金に対する知性を教育課程に盛り込まないのも、知性あるものにとってはめちゃくちゃ好都合だからと僕は考えている。
どうせ働くなら安定の正社員で
まぁこういった教育が戦前から続いてるのであれば、もはやこの選択はデフォルトと言っていいかもしれない。正社員なることのメリットは大きい。年代別の所得を見ても正規と非正規では明らかに差があるし、一番大きいのは周りにちゃんとしてるというイメージを植え付けることが出来る。それによってローンは組めるし結婚も出来るしいわゆる社会的な信用がパッケージとしてついてくる。これは美味しい話だなぁと僕も思うが…
しかし反対に正社員という働き方が過去の遺物なのではないかという考えがちらつく。
- 時間的な制約(1日8時間以上、週5日以上、寝て食べる時間しか残らない)
- 社会的な制約(正社員である以上多大な責任がつきまとう)
- 精神的な制約(上記2つのストレスによる精神的負担)
- 経済的な制約(一定の金銭を得る代わりに変動があまりない)
この中でも大きくウエイトを占めるのは特に精神的な制約じゃないかと思う。僕も新卒であの就職活動という悪夢を経験し、その結果ブラック企業に入社した経緯がある。
一日の拘束時間は12時間を優に超えてそれが週5日、ときには6日続くとなるとまず自分の時間を確保するのは至難の業だ。それも働いてるときは常に利益を追わなければならず、一息つく時間もない。そのような環境下であれば当然人間関係は劣悪なものでストレスも半端ではなかった。
こんな生活を維持しながら、やっとの思いで社会的信用というやつを手にすることが出来る。今考えればあれは生物的に異常な世界だと思う。僕にとっては先に精神がやられて安定どこの騒ぎじゃなかった。
正社員じゃなければ人として当たり前のイベントが出来ない
これは一番厄介な風潮かもしれない。
何社かブラック企業を転々とした結果、僕の中での正社員というイメージは完全にトラウマ化していった。もはやホワイトとか優良企業なんてものは架空の世界で、どこへいってもこんな日常が定年まで続くのだろうと思い込んでいた。同時に正社員という立場から一旦身を引くと何もかもを失うという現実にも気づく。
社会的信用がなくなった僕はただただ挫折感を味わい、当時籍を入れていた相手も当然のように去っていった。非正規雇用ではこの先やっていけないということだ。そうなると社会と関わるのが怖くなり、必然的に人間関係が消滅していく。気づいた時はテレビで見る引きこもりやニートという世界はすぐ隣りにあった。
- 若者の貧困
- 社会保障の負担額増
- 少子高齢化
- 非正規雇用の拡大
- 消費意欲の低下
- 年功序列賃金制度と終身雇用制度の崩壊
こういった時代背景が明確になっているにも関わらず、メディアではまだ正社員、結婚、マイホーム、子育てというサイクルを当然として煽っている。これが1980年代初頭であれば誰もが手にできた当たり前の生活なんだろうけど、現代にその水準を等しく求めるのは少々難があるかもしれない。
そして生物として自分の子孫を残すという当たり前の行為が、こういったパッケージを手にしないとできないということ。まぁ正確には親世代や周りが認めないというだけのことなんだけど。ただ人口減少が国の存続に直結しているなら、こんな建前上の制約は時代に合わせて解放するに限る。もし安定した環境でなければ生物として使命を果たせないと言うなら、後進国で子育てしてる人はいないということになる。
負の要因で社会復帰が難しい
最近こういった意見やブログを目にすることがある。純粋に働きたくない若者なんておそらくほとんどいないんじゃないか。とりわけ僕のように社会への滑り出しを失敗し、挫折やトラウマによって自信と希望を見失っているニートは多い。好きでニートしている人は相当強靭な精神の持ち主か、恵まれた資本に囲まれている富裕層の子だと思う。
ニートやフリーターを二年近く経験したことで分かったメリットデメリットは以下のようなこと。
デメリット
- 収入の問題
- 将来への漠然とした不安
- 明日への不安
- 孤独感
- 大人として認められない
メリット
- 考える時間が増える
- 本を読んで見識が広がる
- やることがないがゆえに何でもやってみようと思う
- 精神的な自由
- 生きる道の模索
不安はたえずあるものの、それよりもメリットのほうが大きいと感じる。それは外の世界の情報が得られること。会社で使う能力と言えばたいていはその範囲でしか使えないものが多く、これは裏を返せばリストラされた瞬間素っ裸になるのと同じことだ。それよりも個人的な強みを身につけるほうが今後の生存確率は高いように思う。
まとめ
まぁ僕のようにどうしようもないクズでさえも文章くらいは書けるから、こうしてブログをやるわけだけど、一番大きな理由は広告収入ではく、自分の体験談で一人でも多くの人が本当の自分の価値に気づいてほしいということ。僅かなりとも今は多様性が広がりつつあって、組織という価値よりも個人としての価値に比重が傾いてきている。そして一番大事なのはバックボーンを必要とせずリソースを生むということへの面白みだと思う。
僕のようにブラック企業にやられた人は大なり小なり似たような気分を味わっている。でもそれは挫折ではなく、新しい自分の価値を発見する為の過程だったのかもしれない。もちろん無職になってから数ヶ月は焦りと不安が襲うだろうけど、その先に本当の自分の生きる道が見える可能性があるとすれば、無理して正社員にしがみつくことはない。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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