今日からお店のスキマ時間になんか書こうと思ってカテゴリーを追加してみた。
どれだけ続くかは分からないけどとりあえずやってみる。
ありーゔぇでるち@quartet1115です。
僕は親のカレー屋で働いてるんだけど、15時~17時半までは休憩だから、寝るか本読むかというところで、あまり出歩くことはしない。だからこそPCを持ってきたんだけど。。
近くに大きな三省堂があるからごく稀にそこに行くこともあるんだけど、最近は図書館の利用で何かと済んでしまう。
本を家に置くスペースがないのと、何冊も買うと結構お金もかかってしまうところがネックだろう。
今でさえ家のモノの三分の二くらいは捨てられるんじゃないかと思っているのだけど、まぁ僕の一存ではそれはできないのが現状だ。
働き始めて5ヶ月が経とうとしてるけど、それ以前の無職の頃とあんまり変わらない感覚で毎日を生きている。
確かに時間はなくなり収入は無職の頃よりは増えたんだけど。。
とはいっても心境に劇的な変化はなく、とりあえずボーッとしたいとか、果てない場所に行きたいとか考えている。
月15万の収入だと家賃払うとあとは貯金、ということになる。
こうゆうのもなんだけど、都内で生きるのは最高にコスパが悪いだろう(笑)家賃払うためにいるような、、
特に僕のような都心になんら関心のない人にとってはミラクルな場所とは言い難い。
このままだと生活する分には困らなくても将来とかいう文字は見えてこない気がする。
そういえば働いて少しの間は歩合制でやっていたんだけど、あのインセンティブこそが人のモチベーションを底上げするという実感は良い経験になった。
ちょうどシーズン的に売上が良かったから、歩合率を高めに設定したんだけど、オールシーズンでならすと問題があって月給制になってしまった。
売上のパーセンテージで給与が決まるとなると、人は勝手にやる気になってより多くを得ようとする。
出勤する時のモチベーションとやらも伊達じゃあないw
まぁそのインセンティブのやりすぎた弊害ってのが今の社会問題でもあるとは思うんだけど、単純に考えるとやはり人間とはそういった欲を貪る生き物なんだなと思う。
インセンティブから月給になると、やる気というカテゴリーが特になくなり自分の中で線引をするようにした。
もちろん仕事としてはきちんとやるけど、余剰の力を使ってこれもあれもとはならなくなった。
たまに『親の跡継ぎなら損得で考えるな』って言われるんだけど、いやいや考えるよ。
親だし人情的な面において少しのホスピタリティはあるけど、自分の時間や対価は基本的に割り切って考えてる。
思うに小さい家族経営や老舗自営業の人が陥りがちな罠はこういったところにあるんじゃないか。
『自分が経営者だから無尽蔵に尽くす』会社の場合は逆だけどw
その結果、店主が倒れたりうつ病になってしまうことはよくあることだ。
それに跡継ぎとか二代目とか言われるのも嫌で、自分のできることや趣向がマッチして尚かつそれで対価を得られる、、という条件のもとやっているのだ。
親とはちがう人格だし、そもそも店に立ってるだけで比較しようとすること自体がおこがましい。
それを知ったように勝手に燃えたぎっている部外者に言われると、ついイラッとしてしまう。
だからといって仕事に手を抜くような真似はしないけど、よくこのあたりを混同して考えている人が多い気もする。
対価に見合わない労働量であれば無駄なものは削りに削る必要があるし、最大限の業務効率を図るべきだ。
あるいは対価の底地を上げるか、人間がまっとうに働けると思える環境はこの二つに一つだと思う。
一番よくないのはこの二つを同時に求めるのが社会のデフォになっていることだろうな。
現代では労働に見合う対価なんてのはもう望めない、、となれば対価に見合う労働をすべきなんだけど、両方やってなんぼ的な風潮がある。
そうすると売上をあげるための効率化が進み、雑務を減らす効率化がおざなりになる。だからいつまでたってもこの社会から残業はなくならない。
まぁ根底のルールに成長し続けるとかいうチート的な機能を有してるからだろう。
本来得られない二つを得ようするのだから辛いに決まっていると思う。
確かにね〜
実際、若者は金ないから車いらない家いらないとか言っても内心それで収まるわけないと思うよ。少し前までそれがふつうだった親世代見て育ってんだもん。
低賃金とオーバーワークがこういった反動を起こすんだろうな。
まぁ、やってることはクソだけど。 https://t.co/VdPdRiZmzK
— ありーゔぇでるち@ネオニート (@quartet1115) 2018年10月28日
渋谷のハロウィン騒動のコメントを眺めてて思った。
やってる行為が悪いことである一方で、それに起因する問題というのが必ずあるのだと。
多分そういったものが祭り事をトリガーとして発散に使われているんじゃないだろうか。
僕はもう組織からは逸脱、、もはや社会からも逸脱しているのかもしれないけど、やはりこういった現代を取り巻く社会の闇は問題提起したくなる。
なぜなら根源を解決しない限り永遠にあり続ける問題だから、考えていても飽きない。
かつてはそういった中で悶々としていた日々があったというのも大きいだろうな。
もうすぐ仕込みの時間だけど、無尽蔵に時間があった頃のブログと比べて、限られた時間の中でなにかを書くというのは難しいですね。
書きたいことが脱線したり、引き伸ばされたり、よくわからない方向にいく。僕の場合はすぐ労働や貧困に向かうのだけど…
だって、誰だってそんな辛いことしたくないじゃん。。
AIだテクノロジーだとかいっても、結局のところ人間が一番忙しく生きづらくなってる世の中って一体?!と思うわけで。
まぁ知らんけど。
ひとまず終わります。
コメントを残す