私は飲食業の概念を変えたい。たとえそれが破滅の道でも。



目次

今日は私が長年抱えてきた気持ちをこの場で書こうと思います。

すでにご存知の方も多いと思いますが、私の家族は飲食店経営をしています。

両親は共働きでほとんど家にいた記憶はありませんが、生きてきた31年間を通して飲食店という職業の本質を本気で考えてみたいと思います。

なお、これはあくまで独断と偏見に満ちた一人の価値観なので、不快に思う方もいるかもしれませんが、本音というところではどうしても外せない一節があると思います。

その際はご容赦ください。

1.飲食店はいつまで消耗しなければならないのか

まずはじめに飲食店の大まかな説明をします。

ご存知のかたも多いと思いますが、飲食業は大きく分けて2つあります。

  • 軽飲食(カフェ・バー・喫茶・スナック等)
  • 重飲食(ラーメン・カレー・中華・フレンチ・割烹等)

特徴としては

  • 軽飲食『ヒト・コミュニケーション主体』
  • 重飲食『料理やお酒の味が主体』

という感じでしょうか。

もちろん他にもたくさんの要素があるのは分かりますが、上記を外した来店理由はありえないと考えています。

私が話すのは主に重飲食についてになります。


飲食店の親を持つ子の過去

子どもの頃は今よりももっと職業が限定されてて、同級生の大半はサラリーマン家庭でした。

そこに士業や開業医といった所得層の高い家庭もあって、自営業というのは数えるくらいだったと思います。

その中でも飲食店や小売(肉屋・八百屋・魚屋など)はいじめられるわけでもないのですが、わりとバカにされてたという記憶があります。

まぁサラリーマン家庭の子からすれば一括りにできない職業はなにかといじりやすかったのでしょうね。

あだ名が屋号というのも珍しくなかったです。

本当はホワイトカラーやブルーカラーといった見方をすること自体おかしな話だと思うのですが、やはりそういった差別的な視点があるのは現在でも否定できません。

私の親が飲食店を開業したのは小学校3年生頃の話ですが、親戚筋にもよく悪口を言われてたのを思い出します。

まだ開業間もない頃で売上が皆無に等しかったころ、親族が集まる会席では

『遊びでやってんのかね』『奥さんが気の毒ね』『世の中あまり甘く見ないで、まずはアルバイトでもやったら?』

などと、手厳しいことを言われ、それらをぐっと飲み込んでる親父の姿を何度か見たことがあります。

しかし子どもというのは浅はかで私と兄が抱いた感情は

『なんか分からないけどうちの親は社会的にダサいのかもしれない』

ということでした。

これは自営業の家庭に育った子どもなら、少なからず共感できる部分があるのではないでしょうか。

おそらくそういった部分の怒りを原動力に変えていった結果が、20数年潰れずにやってきたうちの店なのだと思います。

しかし、その高回転(売上)を維持するがためにガソリン(気力と金)をバンバン使い果たしてしまったことで、エンジン(命)は確実にガタがきています。


自転車操業になるのは目先のことしか頭にないから

私が漠然と思ったのは、、

  • 親が選んだ職業だから
  • 飲食店はキツイものだから

前者はそのとおりですが、後者の概念は潰していく必要があると思います。

命をすり減らすまで稼働しなきゃ得られないわずかな利益のために身を捧げるのであれば、それはブラック企業となんら変わりません。

まぁそこのバランスを取るのが非常に難しい業界だからこそ廃業率が高いのですが。

おそらく繁盛店に見えても、世間一般の方々が想像するよりはるかに少ない手取りでやりくりしてると思います。

また、これまで何社か飲食店でのバイト正社員ふくめて働いた経験から率直に言わせていただくと、この業界は無知か精神論者が非常に多いのも特徴です。

料理一本できてるせいか、柔軟性に欠けてる気がするんです。

キツイという抽象的なイメージを鵜呑みにそのまま非効率なことをして、キツさを精神論で乗り越えようとする。

だからこの業界は『なぜ?』という言葉を非常に嫌います。

なんでこうするの?どうしてこれはこうなるの?

こういった質問のほとんどは頭ごなしに『それが基本だから』『言われたとおりやれ』という言葉で回避します。

これは物理的な理解ではなく、自分が教わってきた既成概念を疑いもせず盲信してるだけだと考えています。

調理の現場というのは死ぬほど忙しいので教える時間がないのかもしれませんが、その時点でもう目先の人参を追いかける思考停止の馬状態なんです。

人参は追ってはいけない。

今日の人参より明日の畑ですから、人参を見ていては畑は絶対にみつかりません。

求めていないものを過剰に追求する

つい先日くら寿司とセブンイレブンのバカッター問題がバズりましたね。

今朝、私が起きてTwitterを眺めるとドンピシャなことを書いてくれてるフォロワーさんがいました。

これらを踏まえた上で見えてくるものは、一体誰が価値以上の付加価値を求めてるのか?ということです。

ちなみにこれはバカッターの擁護ではありません。

コンビニに肉まんを買いに行くのは、肉まんという商品を欲しいから行くのです。

寿司屋に寿司を食べに行くのは寿司という商品が食べたいからです。

ホームセンターにビットを買いに行くのはその商品が必要だからです。

店員にお世辞言われたり世間話ししたりおもてなしを受けたいから行くのでしょうか。

もちろんすべての業界に当てはまることではありませんが、少なくとも小売に求めることとは違いますよね。

このあたりの感覚が売り手と買い手側で非常にずれているのです。

来店目的の99%は他店比較、商品購入、契約変更のためです。

にも関わらず誰も求めていないその過剰なサービスを追求するのは誰なのでしょうか。

それはお客でも店員でもありません。

自信がない売り手側、すなわち企業やオーナーです。

極論、商品に自信があればアップルのようにセミドライな対応でも人は来るんですよ。

いちいち笑顔や点数稼ぎなんてことをしなくても、です。

それに私は毎度不思議に思うことがあります。

仮に売り手側がサービスという言葉を使って付加価値をつけるのであれば、きっちりサービス料をお客から頂いて店員に還元してくださいと。

そうすればサービスに対する責任感を持って向上に努めるはずです。

とはいえどれくらいのお客がそれを望んでるかは甚だ疑問ですし、多分有料ならそれはそれで苦言が出るでしょう。

売買してるのはあくまで商品だけなのに、その橋渡し役に無料奉仕(サービス)なんてものをくっつけるからややこしくなる。

残念ながらインセンティブ抜きで、質の高い無料奉仕しろっていうのは無理です。

こと労働に関しては100%自発ではなく、生きるために仕方なくという惰性的な側面もありますので。

最後の方は飲食店だけでなく結果的にサービス業全体のことを書いていますが、とにかくこの意識のズレは業界において深刻だと思います。


2.変えられないんじゃなくて変える

昨日休憩のときに書店へ行って数時間立ち読みをしてたのですが、前から気になってた本を読みしました。

有名なホリエモンと寿司職人の対談ですね。

これは私も飲食業界で働き始めて間もない頃にすでに思っていたことです。

これを聞いたらみんな驚くかもしれませんが、旧態依然の価値観だと料理は技術とか回数よりもひたすら年数です。

でも年数で計るほどあてにならない指標もないと思いませんか。

追い回し・下積み、八寸場・盛り付け、焼き場、揚げ場、蒸し場、煮方、板場

寿司屋だとこれを20年くらいかけてやるみたいです。

居酒屋だと同じポジションで精度は違えど1ヶ月以内でやらされます。

オフィスワークに例えると、ひたすらエクセルで表作成5年、四則演算5年、関数5年、VBA5年とかって感じです。

まぁ20年もこんなことをやってたら遂げる前にクビになりますね。

現代人であればプロセスと傾向を重視して年数は関係ないって誰もが分かるからこそ、ホリエモンは言ったのではないかと思います。

で、これはすごく失礼で偏見的な意見ですが、こういう制度を敷いた人は自分の技術や味をすぐに踏襲されるのを恐れたのではないでしょうか。

だからあえて高尚なものと見せるために厳格な格付けを決めていんだと思います。

本来であれば誰が欠けてもすべての業務が回るような人材育成をしているはずです。

まぁもちろん料理の世界にいれば、寿司屋でなくともそういう旧態依然のルールがあったりします。

でもそろそろ伝統はそのままに精神論や感情論は捨てて、業界としての合理化を図りましょうよと思うのです。


3.人手不足はわかりきってること

これも私の偏見をぶっちゃけますと

介護・建設・清掃・製造・飲食

このあたりの3K混じりの仕事は体感的に労働者の稼働率と利益率が見合っていません。

さらにはブルーカラーという社会的偏見から、自尊心が持てずに心が廃れやすい傾向にあるのも事実だと思います。

私は過去に清掃と飲食、介護施設の調理などをやってきましたが、どれもかなりキツイです。

長時間労働・薄給・危険・休みなし、というのはリアルでしょう。

だからそのあとオフィスワークの仕事に就いたときは、正直嘘でしょって思いました。

夏場、空調の効いた部屋にいれることだけでも生きてる心地がしましたからね。

労働人口はたくさんいるのに人手不足になるってことは、相対的にみてオイシくないからでしょう。

4.私の考える飲食店の未来

ここまで書いていてもうお分かりになる方もいるかもれませんが、

利益は出したいけど設備費と人件費は抑えたい、でも愛想よくしてクオリティの高い接客・・・

はい、バカですね。

こういう良いとこ取りってのは基本的に無理ゲーなはずです。

無理やりやろうとすればどこかに歪が出るのが普遍的な自然の摂理です。

要は人件費が重くなってまともに営業できない仕事なんてのはその価値自体を見直すか、あるいはキャズム超えした変革が必要なんですよ。

それは

自動化と無人化

私はこの先、必ずこういう店舗が増えていくと思っています。

というか、単価の高いVIPやヒト主体の店以外は

自動化と無人化で初めて稼働率と利益率の帳尻がとれる仕事なんです。

もっと残酷に言うと、飲食の営業は何がなんでも人がフル稼働してやるものではないということ。

もうね、商品=価値が100%であるすべてのサービス業に言いたいですね。

これで初めて他の職種とトントンになれるんです、と。

今まではその仕組を構築するだけの技術も社会的な理解もありませんでしたが、いよいよそういう試みを抱いても良い時代に突入していくかもしれません。

信用経済のもとフルセルフの飲食店があったとしたら、、

私はふつうに行きます。

たとえば吉野家とか日高屋とかよくいくチェーン店がフルセルフになっても従来のクオリティが保たれていれば、まったく問題ないです。

むしろ店員さんにあれこれやらせて悪いなとさえ思うし、店が売れようが売れまいが時給は変わらないのだから、それはだるいよなって察します。

たとえすべてがセルフにできなくても限りなくそれに近い状態はできると思います。

まぁ雇用の面で良いか悪いかはまた別の話しですがね。



今までは店員とお客の負担の割合は10:0が当たり前という関係でしたが、それを当然のごとく言う人は『女が家事して当然だ』というような価値観と似ていると思います。

で、今後はそういう自分が金払ってるからエライと勘違いして悪態つく人間(老害)はだんだん少なくなっていくでしょう。

私たちの世代は男だからあれはやらないとか、女だから出来て当然、なんて価値観はありませんから。

たいていのことは自主的に包括的にやっていくという素養を持ってますし、それにお客側もだんだんと順応してるように思います。

だから最近はいろんなことがシームレスにセルフ化できるんですね。

経営にとって一番重い人件費を削り、浮いたコストを材料や設備投資にまわして、価格にも反映できるというのは悪いことではないでしょう。

少なくとも求めてない過剰サービスを維持するために、低賃金で人を雇用し、それがバカッターのようなリスクを生むのであればそうするべきです。


5.終わりに

ずいぶんと雑に書きなぐってしまったなと思います。

本当は人情感情、それも大事なのはわかっています。

ですが、そういった感情論と経営の距離は意識しなくてはなりません。

結局、私を取り巻くすべての問題は感情が突っ走って引き起こしてるからです。

だから私はそうなってはいけないと強く思っていますし、またそれが自分や彼女の将来的な負担を軽減する方法だとも思っています。

経営者は従来通り利益拡大や多店舗展開を意識する一方で、私は減算経営という考え方をしています。

それはすでにある武器をさらに研磨していき、余分なものは削ぎ落とすことです。

100%味にかけている店のいちばん大事な仕事は『味』でしかないんです。

極論をいえば、それ以外のことはできるだけ削らなければなりません。

もちろん今すぐには無理ですが、いずれはそういったやり方をしていこうと思っています。

長々とお読みいただきありがとうございます。

ちょっと真剣に書きすぎて自分でもキモいなと思いましたw

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ABOUTこの記事をかいた人

新卒でブラック企業入社を皮切りに転職、倒産、結婚、離婚、開業等々、現在は都内で飲食店やりながらブログ書いたりしてます。相方と月収20万でミニマルな生活を計画中・・・>詳細はコチラ