目次
ネタがすっかりとなくなってしまったというか、ネタ集めてブログ書けるほど才なんてない。
そう思うと、どこに着目するかって話なんだけど、今回は自分がテキトーに起業したことを書こうと思う。
主観
最初に断っておきたいんだけど、これは誰かパトロンやメンターがいたわけでもなく、完全に孤立無援の妄想状態からやった、いわばなんちゃって起業だから、よく目にする荘厳壮大な『起業』ではないってこと。
そして、その成果も一攫千金なんてほど遠い、ものすごくしょぼくて地味な感じで現在進行している感じです。
「金稼げなくて、利益出せなくて起業?バカにしてんの?」
はい。その通りかもしれません。
僕は何度もこういったことを言う人と仕事の関係で会ったことがあるんだけど、いつも即席麺だと思ってやりすごした。
たいていギラついてる企業家や根っからの商売人気質の人はみんなそういうことを言う。
彼らが儲けているのかどうかは別として、いや儲けていない人に限って起業して3分で食べれるような作物しか育てていない。
農業に例えると、種を撒いてから3日で収穫できるもの。
或いはお湯を入れて3分で食べれる即席麺のようなもの。
しかし、残念ながらそんな便利で万能なものはきっとない。あってもその先がない。
もうすぐお目にかかる桜と一緒だと思った。
一瞬で咲いて消えるのは刹那的な芸術ならまだしもそういったコトはやりたくない。どうせやるなら、何十年後も『あ、まだあるんだコレ』と言われるようなしつこくて小さく秘められたレジェンドでいたい。
稼ぎよりゆるく愉しく持続。それが僕の勝手な起業論だ。
世の中には『勤め人』にせよ『起業』にせよ必ずルートやコースが用意されている。
ある一定の学歴やキャリアで成り立つ勤め人に対して起業のノウハウをセミナーなどで学ぶか、もしくはMBAなどを取得する人もいる。
それを基にフランチャイズ経営やMLMを始めてそれが起業だという人もいるだろうし、独自の技術をベンチャーキャピタルにもちかけるといった手法もあるだろう。
だけど、これはあくまでルート化されていることもしばしばあって、中には明らかに胡散臭いものも存在する。例えばSNSで豪華で派手な生活をしていることを投稿する団体だったり、セミナーに行ったらねずみ講もどきなことをしている人に勧誘されたりと。
稼げていない僕がいうのもおこがましいけど、こんなことは轍が出来ている道を闊歩するのと一緒で面白くない。
よく金はどんな金でも金に変わりはないという人がいるけども、そういった後ろ暗さの漂う金は、誰かを不幸にすることでしか得られないのではないかと考えている。
あくまで勝手な主観だ。
そして、金を手に入れて、高級ブランドを身に付け高級車を乗るような人生は品位に欠けてる上に滑稽だと思うことも多い。
本当の人間力、真の魅力がある人はそんなものを纏わなくても何も恐れない。
自分に自信がないから、魅力的でないからこそ何らかの装飾をして底上げしないといけなくなるんじゃないかな。これはすぐに暴力に身を任せる人の性質と似ているところがある。
多分、信じてもらえないかも知れないけど、そんなハリボテの人生はちっとも羨ましいと思えない。
何でだろうか、自分にも分からないけど普遍的なものがあって、それは金の多寡で測れるものではなく、どれだけ自分が納得できる形で人を喜ばせれるのかという一点につきる。
そして手に入れたお金はあくまで手段であり喜捨であり、独占して高らかに笑うものではない。
こんなことを考えているから、僕は起業する際になーんのツテも人脈もなかった。
あったのはちょっとした貯金と恋人だけで、ノウハウもやり方も表現方法もすべて0の状態だった。
目標は、一点集中特化型(あれこれやらない)であり極めてミニマム(低予算)な方法でゆるく(継続性)運営するといったことだけだ。
挫折と選択
僕は社会不適合者がゆえに会社で生きることが難しくなった。
過去のブログでもしょーもないブラック企業の体験話を書いてるんだけど、今思うとなんでそんなどうでもいいことを書いたんだろうと恥ずかしくなる。おかげで少しはマシな文章を書けるようになったのかもしれないけど。。
気になる人はいないと思うけど、一応こちらに載せておきます。
まぁそんなもんだから、結局会社で生きる場所がなくなり、計画性もなく勤めていた会社を辞めてしまった。
そのあとワーキングホリデーに行くか、思い描いたゆるい起業を実行するかっていう二択になった。
ただ、それまで安定を理想としていた恋人にとって、これはどちらに転んでも地獄の道でしかなかったのだけど、何とか説得してどちらを選んでも両方OKが出た。
今考えればこれはかなり強引だったと思う。いずれも死ぬという強制一択の中で焼死と溺死どっちがいいかと問うているようなものだからだ。
そして僕はゆるい起業を選んだ。
その時初めて恐怖とわくわくが同居した。
『失敗したら終わりなんじゃないか』
ゆるいというのは、少々後付があって当時はそんなゆるいことでさえ本気でビビっていた節がある。
ただ、実際は失敗しても命を取られるわけではないと、とある書籍にしがみつきながら不安をかき消して準備を始めていった。
起業準備
もう商品として出すものは決まっていた。
これは僕がまだ大学生のころ勝手に妄想していたことで、その記憶の切れっ端をwordに残していた。過去の自分よ、最初からやれよと思った。
最初に断ったように僕には才がない。
本当になにもない。
あるのは逃げる方法を考えるのと、働きたくない方法を考える二つだけだ。
きっと大学生時代の僕は最初からそうなることを予期していたんだろう。
一番になれるものは何もないということ。
だから、手っ取り早く親のやっている飲食店のカレーという商品を通販で売ることを選んでいた。
もちろん、料理にはある程度自信があったけど、それも格式のある料理屋で一から修行したわけでもなく居酒屋と福祉施設でちょこっとやっていたようなものだ。
聞こえは悪いんだけど、僕は前々から金を稼ぎに仕事に行くというよりは、技術を盗むために行っていた節がある。
この時、長く勤められないがゆえにいろいろな場所で広く浅く仕事していた後悔は希望に変わった。
だいたいの仕事は数年すればルーチン化していく。もちろん自分の職歴がそうだっただけかもしれないけど、特定の『誰か』でなくては出来ない仕事などこの世にはない気がする。
そして、ルーチンになりそうな段階で辞めるということは十分に技能を吸収していて、即ちそれ以上の成長が見えず飽きたということなのだ。
まぁ長く続かないことを気に病むことはないと言いたいだけなんだけど。。
そして商品のカレーは一長一短で習得できるものではなく、多分今まで自分が作ってきたあらゆる料理を凌いで複雑だった。カレーはあまり作ったことがないから尚更だ。
インドカレー、その香辛料の配分は複雑怪奇そのものだった。
さすがに20年以上店が存続している理由が分かった。
もちろんこのレシピともいえない感覚のようなものを教わるにも一悶着あった。
ラーメンで有名な佐野実には及ぶべくも、それなりに頑固職人親父だ。相応の説得をした。
思い出せば、大学生時代の時に親父に妄想(通販をやりたい)を話したことがって、そのときはほぼシカトされた気がする。一瞥されて門前払いというところだった。
理屈は通じない。
なら、美味しいものを作るしかない。
「何のジャンルでもいい。作って持ってこい。」
これはさすがの僕もビビった。
親なら教えてくれたってえーやん!くらいに思っていたからだ。
そして僕は自信満々に麻婆豆腐を作って提供したのだった。
続く…
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